忌野清志郎『サイクリング・ブルース』より

サイクリング・ブルース

サイクリング・ブルース

自転車はブルースだ。クルマや観光バスではわからない。走る道すべてにブルースがあふれている。楽しくて、つらくて、かっこいい。憂うつで陽気で踊り出したくなるようなリズム。子供にはわからない本物の音楽。ブルースにはすべての可能性がふくまれている。自転車はブルースだ。底ぬけに明るく目的地まで運んでくれるぜ。忌野清志郎

武田泰淳『目まいのする散歩』より

目まいのする散歩 (中公文庫)

目まいのする散歩 (中公文庫)

「あぶない散歩」から。

 大震災の年の秋から冬にかけ、寺の境内には、崩れおちた壁土や瓦の破片が堆く積まれていて、石塔の高さまで届いていた。泥の山と墓石の高さが同じなので、その上で飛んだり跳ねたりすることができた。その遊び場の外れに、石塀に囲まれた大きな墓があった。その墓の正面には、赤く塗られた鉄柵がとりつけられていて、しかも、その鉄柵の一本一本は、槍の形をしていた。私はその墓のまわり、一米ぐらいの高さの石塀の上を走りまわり、鉄柵の上を飛び越すのが得意だった。何回も飛び越すうちに、しくじっていた。気がつくと右足が動かなかった。私の体は竹串に刺された焼きとりのように宙に浮いていた。見ていた写真館の娘が異変を告げにいった。痛いよりも驚きの方が激しかった。自分の右足を両手でつかんで力をこめてひき抜くと、血がほとばしった。私は大きく開いた傷口を押えながら走った。「おかあさん!」と叫びながら家に入ると、父親が出てきた。そして子沢山の小児科医のもとへ運んでくれた。顔色のわるい医者は、手馴れない患者に仰天して、うまく手当てができなかった。「ええと。ええと」と、とまどって、ますます蒼くなり、ふるえる手つきで、やっと手当てをすませた。
 大正末期の少年にとって、家の中も外も危険が充ちている。そのようにして、昭和期の少女にとっても、同じ危険が待ちかまえているらしい。その危険は人生の面白さと密着していた。面白くなければ散歩などする人はいない(今の私は、面白くなくても散歩しているけれども)。

クレメント・グリーンバーグ『グリーンバーグ批評選集』より

グリーンバーグ批評選集

グリーンバーグ批評選集

モダニズムの絵画」から。

 私の見るところ、モダニズムの本質は、ある規律そのものを批判するために−−それを破壊するためにではなく、その権能の及ぶ領域内で、それをより強固に確立するために−−その規律に独自の方法を用いることにある。カントは論理の限界を立証するために論理を用い、その旧来の支配圏から多くのものを撤回したが、論理は、そこに残されたものをかえっていっそう安泰に保持するようにされたのである。
 モダニズムの自己−批判は啓蒙運動の批判から生じたが、それと同じものではない。啓蒙運動は外側から、つまりより一般的に受け入れられている意味での批判が取る方法で批判したのだった。だが、モダニズムは内側から、つまり批判されていくものの手順それ自体を通して批判するのである。この新しい種類の批判が、定義からして批判的なものである哲学において最初に現れたのは、当然なことと思われる。しかし、一九世紀が経過するにつれて、それは他の多くの分野でも自覚されるようになった。より合理的な正当化が、あらゆる正式な社会運動に要求され始め、ついに、「カント的な」自己−批判は、哲学とはかけ離れた領域においてこの要求に直面し、また解釈するよう求められたのである。
[中略]
 各々の芸術の権能にとって独自のまた固有の領域は、その芸術のミディアムの本性に独自なもののみと一致するということがすぐに明らかになった。別の芸術のミディアムから借用されているとおぼしき、または別の芸術のミディアムが借用しているとおぼしきどんな効果でも、各々の芸術の効果からことごとく除去することが自己−批判の仕事となった。それによって各々の芸術は「純粋」になり、その「純粋さ」の中に、その芸術の自立の保証と同様、その質の基準の保証が存在したであろう。「純粋さ」とは自己−限定のことを意味し、また芸術における自己−批判の企てとは徹底的な自己−限定のそれとなったのである。
 リアリズム的でイリュージョニズム的な芸術は、技巧を隠蔽するために技巧を用いてミディアムを隠してきた。モダニズムは、技巧を用いて芸術[アート]に注意を向けさせたのである。絵画のミディアムを構成している諸々の制限−−平面的な表面、支持体の形体、顔料の特性−−は、古大家によっては潜在的もしくは間接的にしか認識され得ない消極的な要因として取り扱われていた。モダニズムの絵画は、これら同じ制限を隠さずに認識されるべき積極的な要因だと見なすようになってきた。マネの絵画が最初のモダニズムの絵画になったのは、絵画がその上に描かれる表面を率直に宣言する、その効力によってであった。印象主義はマネに倣って、使用されている色彩がポットやチューブから出てきた現実の絵具でできているという事実に対して眼に疑念を抱かせないようにするために、下塗りや上塗りを公然と放棄したのだった。セザンヌは、ドローイングとデザインをキャンバスの矩体の形体により明確に合わせるために、真実らしさと正確さを犠牲にしたのだった。
 しかしながら、絵画芸術がモダニズムの下で自らを批判し限定づけていく過程で、最も基本的なものとして残ったのは、支持体に不可避の平面性を強調することであった。平面性だけが、その芸術にとって独自のものであり独占的なものだったのである。支持体を囲む形体は、演劇という芸術と分かち合う制限的条件もしくは規範だった。また色彩は、演劇と同じくらいに、彫刻とも分かち持っている規範もしくは手段だった。平面性、二次元性は、絵画が他の芸術と分かち合っていない唯一の条件だったので、それゆえモダニズムの絵画は、他には何もしなかったと言えるほど平面性へと向かったのである。

小泉義之『生殖の哲学』より

生殖の哲学 (シリーズ・道徳の系譜)

生殖の哲学 (シリーズ・道徳の系譜)

「第二章 生殖技術を万人のものに−−「交雑個体」を歓待する」から。

 立法者はこう想像を働かせている。人クローン個体は可能だ。それだけではない。「交雑個体」も可能になる。人間なのか動物なのか定かでない「交雑個体」も作り出せるかもしれない。立法者の想像力は、生殖技術の力能を前にして面食らっている。カントは、『判断力批判』で、人間の想像力の限界点を印すような自然物のことを、崇高なるものと称していたが、「交雑個体」は崇高なるものに相当する。カント以後においては、崇高概念は美術作品や政治的営為に対してだけ適用されてきたが、いまやカント本来の語義に立ち返って、「交雑個体」という美術=技術作品かつ自然物に対してこそ適用されるべきである。カントのいう崇高なるものを、人類史上初めて眼にする時が近づいているのである。

ジャン=リュック・ゴダール『映画史 テクスト』より

DVD>ジャン・リュック・ゴダール映画史(5枚組) (<DVD>)

DVD>ジャン・リュック・ゴダール映画史(5枚組) ()

「4A 宇宙のコントロール」から(エリー・フォール『美術史 近代芸術1』の転用)。

死へと向かうわれわれの道のりの跡を追いながらも、映画は涙を流さず、われわれのことを嘆き悲しまず、われわれを励ますこともしない。
それはわれわれと共にいるから。
われわれ自身であるから。
それはそこにいる、揺りかごが光り輝くときに。
それはそこにいる、窓の方に身をかしげた少女が何も知らない目をして、胸の谷間を真珠で飾り、われわれの前に現れるときに。
それはそこにいる、われわれが彼女の服を脱がせ、こわばった彼女の上半身がわれわれの熱狂のうねりに震えるときに。
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それはそこにいる、子供を両腕に招き入れるときの、母性的な感情のままに、女がわれわれに両膝を開くときに。
それはそこにいる、彼女から果実がこぼれ落ちるときに。
一度、二度、三度、彼女の人生で、それはいったい幾度か。
その後もそれはそこにいる、彼女が年老いて、顔はひび割れ、乾いた両手がわれわれに、人生がひどいものだったことを恨んではいないと、言って伝えるときに。
それはまだいる、われわれが年老いて、迫り来る夜の方を、じっと見つめるときにも。
そしてそれはそこにいる、われわれが死んで、われわれの亡骸が死装束を、われわれの子供の腕に差し伸ばすときにも。

『ベンヤミン 救済とアクチュアリティ』より

ベンヤミン (KAWADE道の手帖)

ベンヤミン (KAWADE道の手帖)

松本潤一郎「労働と芸術−−ベンヤミンクロソフスキー」から。

自然を模倣することは、模倣するものが、みずからの特異性をおのずから展開させることである。おそらくベンヤミンにとって自然とは、確固として存在する何かではない。それはみずからを展開する運動であり、かつ他の自然を促し、作動させる。人間の本性は労働ではない。そして労働は自然ではない。人間の本性が自然である。模倣の能力はそれ自体が能力の自己展開=自然である。[中略]
労働から創造への移行は、手作業から脳の知的活動への移行(「必然の王国から自由の王国」)という、マルクスの理念でもあった。ナンシーはこの移行をポイエーシス(目的をもつ制作)からプラクシス(行為の自己目的化)への移行と整理したうえで、では労働に伴う汚れや苦痛は「自由の王国」では消えてしまうのかと問う。手も脳も身体であり、単純には分割できない。技術の進展によって労働が主として頭脳労働に移行したと仮に言えるにせよ、そこにおいて心身の疲弊・苦痛・摩耗が解消されるとは言えない。労働は救世主ではない。だが消費も救世主ではない。むしろ消費−監視体制下の「非正規」労働者における生産(労働? 芸術?)の様態を、あらためて問う必要がある。ガタリ的主体化の過程(「一望監視的超自我」から「フラクタル状のプシケー」へ)は、その手がかりになるかもしれない。消費−監視体制下の人間の本性=自然としての不安定な実存感から、みずからを生産するポイエーシスを走らせる、新たな抵抗様式の発明である。ベンヤミン的〈自然〉の潜勢力は、現在、そのように息づいているだろう。「労働」の否定ではなく、〈批判〉を通した革命の回路を、そこから導き出せるかもしれない。

池田雄一『カントの哲学』より

カントの哲学 (シリーズ 道徳の系譜)

カントの哲学 (シリーズ 道徳の系譜)

「第三章 出来損ないのサイボーグ、そして構想力の革命」から。

 カントは、自然を美的にみるということは、自然を技術の象徴として眺めることであると述べている。さきほどみた「道徳の象徴としての美」と比べてみると、ここでは象徴の役割がまるでちがうことがわかる。自然を技術の象徴として見ることによって「目的なき合目的性」という概念が可能になる。でないと、合目的性がある対象に、実体的な目的を措定してしまうからだ。目的の断頭台。ここで使われている象徴とはそのようなものだと考えられる。カントは丸天井の例の直後で、同様の例として別の「道具」をあげている。

 同じことが人間の形態における崇高なものや美しいものについても言うことができるのであって、その場合われわれは、人間のすべての肢体がそのために現存している諸目的の概念を、判断の規定根拠として振り返って見てはならないし、またたとえこれらの肢体が諸目的の概念と矛盾せず、実際にも美学的適意の一切条件であるとしても、そうした目的概念との合致をわれわれの(そうした場合はもはや純粋ではない)美学的判断に影響を与えさせてはならない[KU.B.119/240]

自分の手足を、何かの技術の産物のようなものとして眺めること。それは自己の身体を、解体され廃棄されたサイボーグの身体=部品としてみることを意味している。自分の、他人の手足が、いったい何のためにあるのか。それらのパーツに、合目的性を見出だすこと。それは対象への過度な転移という事態をも引き起こすだろう。しかしそれはいったい誰への、何への転移だというのか。趣味判断の主体はいったい誰なのか。判断をくだす当人なのか、それとも彼に憑依した不可視の誰かの意志なのか。カントにとって世界を美学的に見るということは、世界を怪物と化したサイボーグとして注視し、その声にならない機械音に耳を傾けるということではなかったのだろうか。