武田泰淳『目まいのする散歩』より

目まいのする散歩 (中公文庫)

目まいのする散歩 (中公文庫)

「あぶない散歩」から。

 大震災の年の秋から冬にかけ、寺の境内には、崩れおちた壁土や瓦の破片が堆く積まれていて、石塔の高さまで届いていた。泥の山と墓石の高さが同じなので、その上で飛んだり跳ねたりすることができた。その遊び場の外れに、石塀に囲まれた大きな墓があった。その墓の正面には、赤く塗られた鉄柵がとりつけられていて、しかも、その鉄柵の一本一本は、槍の形をしていた。私はその墓のまわり、一米ぐらいの高さの石塀の上を走りまわり、鉄柵の上を飛び越すのが得意だった。何回も飛び越すうちに、しくじっていた。気がつくと右足が動かなかった。私の体は竹串に刺された焼きとりのように宙に浮いていた。見ていた写真館の娘が異変を告げにいった。痛いよりも驚きの方が激しかった。自分の右足を両手でつかんで力をこめてひき抜くと、血がほとばしった。私は大きく開いた傷口を押えながら走った。「おかあさん!」と叫びながら家に入ると、父親が出てきた。そして子沢山の小児科医のもとへ運んでくれた。顔色のわるい医者は、手馴れない患者に仰天して、うまく手当てができなかった。「ええと。ええと」と、とまどって、ますます蒼くなり、ふるえる手つきで、やっと手当てをすませた。
 大正末期の少年にとって、家の中も外も危険が充ちている。そのようにして、昭和期の少女にとっても、同じ危険が待ちかまえているらしい。その危険は人生の面白さと密着していた。面白くなければ散歩などする人はいない(今の私は、面白くなくても散歩しているけれども)。