中平卓馬『ADIEU A X』より

ADIEU A X〔アデュウ ア エックス〕

ADIEU A X〔アデュウ ア エックス〕

「撮影行為の自己変革に関して」から。
(スラッシュ部は三行アキ)

 1960年代末期、私が、まだ、新左翼系、月刊雑誌、「現代の眼」編集者で在った時、初めて撮影行為に関心を抱き始めたのは、アメリカの卓越した、写真家ウイリアム・クラインの作品集を突如、眺めた時からです。ウイリアム・クラインが、造り上げていた作品総体、具体的に言えば、彼自身、全く偶然、知ってもいなかった世界の諸姿と、突如、出会った時、かなり感動し、それらの姿そのものを、彼自身の感性を決して傷つけること無く、撮影し抜いてきた結末が、彼の作品集でした。その一点において、彼は、他ならぬ、カメラだけが持ちうる力、その特性を十全に発揮した存在でした。彼の作品ほとんど全てを、私、眺め、撮影を開始しました。具体的に言えば、その当時、さまざまな雑誌に発表されていた作品の多くは、女性像up、ヌード写真を初めとして、ほとんど全ての作品が、対象たる存在を写真家の自意識を基点として位置づけ、撮影した、そのような虚構的作品が多かったのでした。それ故、私、多くの写真家達に全的に対抗し、先に記述したウイリアム・クライン風の「ブレ・ボケ」作品を撮り始めました。その帰結が、「ブレ・ボケ」を強化し過ぎ、対象を全く不明にしてしまいました。それ故、逆に、私の作品総体が写真の本質性を徹底的に喪失したありさまでした。
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 私、今日、素朴な写真家にまいもどりました。
 だが、私、素朴な写真家にまいもどったとしても、新たに現実世界に出会った時には、自意識が解体され、自らの意識を新たに造り上げねばならぬ行為そのものが、無限に課せられてくる。それは、ある意味において、写真家で在る私のさだめで在ろう。
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 私、自ら望み続けている、より良い作品が、具体化されることを願いつつ、ほぼ毎日、大雨さえ降らねば、横浜、川崎市内、一帯に、また、ときには、東京まで、自転車で撮影に出発し続けています。
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 私、毎夕刻からフィルムを現像し上げ、水洗し、乾燥し上ったフィルムを凝視し、選出し、それから作品を造り上げています。私、それらの作品を見直してみると、とても変った、奇妙な精神的ショックさえ、感じ続けています。だが、私、そのこと自体を考え始めると、写真と言うものは、他のほとんど全てとは異なり、写真は、写真だけの、独特な、奇妙な力を持っていることに気づきました。写真作品、またその前の行為とは、この社会、諸姿の模写で在るにすぎないのだ。しかし、それを端的にやって行くことによって、この社会をあらわにさせることが、可能なのだ。この一点に、私も意欲的に参加することを決めている、のです。
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 私、ほぼ日々、与えられている諸雑誌、その他を眺めたら、各誌に発表されている写真作品のほとんど全ては、具体的に言えば、ヌード作品を初めとして撮影行為の原点すらも"あやふや"化し、商品として売り続けています。それら全ての作品は、写真家達各自が、ある意味において、造り上げていた美意識を基点として、対象そのものまで、撮影の為に位置づけ、その通り撮影し上げた作品が、全く多い、のです。それら諸作品を眺め、感動する読者も在る、と言えば、在るでしょう。だが、私、それら総体を眺め、それらの多くが、"写真"と言うメディアが持ち得る基本的力そのものを無益に拡大して行き、終局的に言えば、次第、次第に、写真と言う言葉が持ち得る力そのものを喪失しつつある、点に気づきました。
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 私、自ら造り上げてきた写真に関する美意識を基点として、撮影し続けているので在るが、突如、自らの意識を乗り越えた、全く新たなる対象そのものと出会った時、その瞬間から撮影し始めているのです。自らの意識を乗り越えた、と言うことは、世界に関して確立していた意識を、ただ単に展開、展示してゆくことでは、決して無く、世界そのものの持つ力を、自ら率先して引き受けて行くことが、他ならぬ写真家で在る私の基本なのだ。
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 私、毎日、"Long Hope"ならず"Short Hope"を吸い続けています。それに即して言えば、写真、撮影行為においては、一挙に、世界総体を把握することが出来ず、日々、短い希望なのだが、それに依拠して、私、世界を全的に捉えることを願いつつ、生き続けています。