スティーヴン・ジェイ・グールド『パンダの親指』より

パンダの親指〈下〉―進化論再考 (ハヤカワ文庫NF)

パンダの親指〈下〉―進化論再考 (ハヤカワ文庫NF)

「30章 天然の誘引力」から。

 この世界は人間には感知できないさまざまな信号に満ちている。微少な生物は、われわれの知らないいろいろな力が作用している別の世界で生きている。ヒトに近い大きさの動物でも、多くのものは、われわれがもっている感覚に関してヒトの知覚範囲をはるかに超える能力をもっている。コウモリ類は暗やみのなかで、私には聞きとることのできない高周波音を発し、障害物から反響させ、それを感受することによって、その物体を避けて飛ぶことができる(その音を聞くことのできる人もまれにはいるが)。昆虫には、紫外線が放射されるのを見抜き、花による"見えない"ハチミツへの導きをたどって、自分の食物と、別の花へ運んで受粉させるべき花粉にたどりつくものが多い(ただし、植物がこうした定位に使われる色模様をつくりだすのは自分たちの利益のためで、昆虫の便宜を図っているのではない)。
 それにしてもわれわれ人間は、なんと知覚力の乏しい代物なのだろう。自然界のなかで見、聞き、嗅ぎ、さわり、味わうことのない、かくも多くの、かくも魅惑的な、かくも現実的なものに取り囲まれていながら、平凡な魔術師たちのトリックを知ったとき自分たちの視野の外にある心霊界をかいま見たかのように誤解してしまうほど、われわれは新奇な力を求めるあまりにだまされやすく、惑わされやすい。超日常的なものは幻想だともいえる。たしかにそれは、ほら吹きたちの安息所である。けれども"超人間的"な知覚能力は、鳥やミツバチやバクテリアなど人間の身近にあるものに備わっている。そしてわれわれは、自分で直接に感じることのできないものを感知し理解するために、科学が生みだしたもろもろの機器を使うことができるのだ。