ユクスキュル/クリサート『生物から見た世界』より

生物から見た世界 (岩波文庫)

生物から見た世界 (岩波文庫)

「1章 環世界の諸空間」から。

 ここでわれわれが研究しようとする動物の環世界(Umwelt)とは、われわれが動物の周囲に広がっていると思っている環境(Umgebung)から切り出されたものにすぎない。そしてこの環境はわれわれに固有の人間の環世界にほかならない。環世界の研究の第一の課題は、動物の環境の中の諸知覚標識からその動物の知覚標識を探りだし、それでその動物の環世界を組み立てることである。レーズンという知覚標識はダニをまったく動かさないが、酪酸という知覚標識はダニの環世界で著しい役割を演ずる。一方、美食家の環世界で重要性が強調されるのは、酪酸ではなくてレーズンという知覚標識である。
 どの主体も、事物のある特性と自分との関係をクモの糸のように紡ぎだし、自分の存在を支えるしっかりした網に織りあげるのである。
 主体とその環境の客体とのあいだの関係がどのようなものであろうとも、その関係はつねに主体の外に生じるので、われわれはまさにそこで知覚標識を探らねばならない。主体の外にあるこれら知覚標識どうしはそれゆえつねになんらかの形で空間的に結びついており、そしてまた一定の順序で交代していくので、時間的にも結びついている。
 われわれはともすれば、人間以外の主体とその環世界の事物との関係が、われわれ人間と人間世界の事物とを結びつけている関係と同じ空間、同じ時間に生じるという幻想にとらわれがちである。この幻想は、世界は一つしかなく、そこにあらゆる生物がつめこまれている、という信念によって培われている。すべての生物には同じ空間、同じ時間しかないはずだという一般に抱かれている確信はここから生まれる。最近になってようやく、すべての生物に通用する空間をもつ宇宙の存在への疑いが物理学者たちの間に生じてきた。そのような空間がありえないことは、一人一人の人間が、互いに満たしあい補いあうがなお部分的には相容れない三つの空間に生きているという事実からすでに明らかである。