川島武宜『日本人の法意識』より

日本人の法意識 (岩波新書 青版A-43)

日本人の法意識 (岩波新書 青版A-43)

「第五章 民事訴訟の法意識」から。

 まずはじめに、「裁判」ということばの意味を説明しておこう。裁判ということばは、非常にひろい意味に使われる場合があるが、ここでは私は次のような意味で使うことにする(そうして、今日一般に「裁判」ということばは、次のような意味で使われる場合が多い)。
 裁判というのは、政治権力がその物理的力を行使して人に強制を加える(或る行為をさせ、或いはさせないようにする)ことの前提として、「一定の事実があるかどうかを明らかにした上(事実認定)、あらかじめ予定されている規準(法)にしたがってその事実を評価(価値判断、或いは法的価値判断)して、強制を加えるべきかどうかを決定すること」、を意味する。
 政治権力が、その権力に服する者に強制を加える場合には、必ずしも、右のような意味での「裁判」を前提として、裁判があったのちにはじめて強制を加える、とはかぎらない。いな、強制を加える者が、自分の自由な−−そのような「規準」に拘束されない−−判断或いは気げんによって強制を加えるということは、決して珍しいことではない。このことからわかるように、政治権力による強制が「裁判」を前提とすることになっているということは、政治権力による強制というものをコントロール(制御)するためである。もちろん、政治権力による強制をコントロールする社会的しくみは、「裁判」というものだけではなく、そのほかに、被治者の抵抗とか、世論とか、イデオロギー(政治的教説)とか、政治権力行使者への助言者−−歴史上特に顕著なものとしては、古代ローマ法律学者−−のことば(或いは、教え)とか、さまざまなものがあり得るが、裁判は、それらのものの中で最も制度化されたもの、また最も精密に技術化されたもの(特に現代の裁判においては)、である。
 裁判をする役割をゆだねられている人(以下これを裁判者と呼ぶことにする)の裁判を求める行為(裁判請求)は、「訴え」と呼ばれる。裁判請求に応じて、裁判請求にはじまり裁判に至るまで・裁判者に裁判させるためになされるところの・関係者の一定の制度化された行為のシステム或いは過程は、「訴訟」或いは「訴訟手続」と呼ばれる。しかし、私はこれを「訴訟手続」と呼び、裁判・裁判請求・訴訟手続の全部を包括的に指す場合にだけ「訴訟」ということばをつかうことにする。
 訴訟は、これを大きく分けて、民事訴訟と刑事訴訟と行政訴訟の三つに区別することができる。民事訴訟は、その本来の形態においては、私人と私人とのあいだの争に関して政治権力が私人に対し強制を加えるために、その前提としてなされるものであり、刑事訴訟は、政治権力が被治者に刑罰という形態の強制を加えるために、その前提としてなされるものであり、行政訴訟は、民事訴訟・刑事訴訟以外のしかたで被治者に対して行使される政治権力の行使を制御するために、その前提としてなされるものである。