小林誠『消えた反物質』より

消えた反物質―素粒子物理が解く宇宙進化の謎 (ブルーバックス)

消えた反物質―素粒子物理が解く宇宙進化の謎 (ブルーバックス)

「序章」から。

 我々の身のまわりの物質の基本的な性質はクォークレプトンであること、素粒子には反粒子が存在することを説明した。クォークについても当然その反粒子である反クォークが存在する。実際、陽子の反粒子である反陽子は反uクォーク二個と反dクォーク一個からできている。反中性子は反uクォーク一個と反dクォーク二個という具合である。
 そこで物質を構成する基本粒子をすべてその反粒子で置き換えることを考えてみよう。反クォークからできた反陽子反中性子が集まれば反原子核がつくられ、反原子核陽電子から反原子ができるはずである。さらに反原子が集まってできた物体として反物質があっても不思議はない。
 現在のところ実験室の中では、反水素原子をつくることにようやく成功した段階であり、人工的に巨視的な大きさをもつような反物質をつくることはとても不可能であろうが、自然界のどこかに反物質が存在している可能性はあるだろうか。
 電子と陽電子が出会うと対消滅することをすでに説明したが、一般に粒子と反粒子が出会うと同じように対消滅が起きる。対消滅反応では質量のエネルギーが解放されて最終的には熱エネルギーになる。このため反物質が物質と接しているところでは爆発的反応が起きて、反物質は(同量の物質とともに)消えてしまう。したがって、地球上に反物質が存在している可能性は考えられない。
 では、他の天体が反物質でできているという可能性はどうであろうか。月にも物質でできたロケットや人間が無事着陸したのであるから、月が反物質からできているということはない。そもそも宇宙空間といえども真空ではないのであるから、対消滅を完全に免れることはできない。こうした考察をしていくと、宇宙のはるかかなたに反物質の世界がある可能性は完全に否定できないにしても、どうやらこの宇宙は圧倒的に物質が優位に立っているようである。
 ここで当然一つの疑問が湧く。なぜこの宇宙は反物質ではなく物質からできているのであろうか。この一見素朴な疑問が実は宇宙論の大きな謎の一つとなっている大問題であり、本書の主題であるCP対称性の破れと密接に関係している。この問題を深く考えていくとたいへん多くのことを注意深く考察することが必要となる。もっとくわしい説明は本編を読んでいただくことにして、ここではまず、この疑問の意味するところを、本質を見失わない程度に簡略化して考えてみよう。
 宇宙は大爆発(ビッグ・バン)ではじまり、現在にいたるまで膨張を続けていると考えられている。誕生直後、高温高密度の状態にあった宇宙は、膨張にともない温度が下がり現在にいたった。一九六五年、ペンジアス(A.A.Penzias)とウィルソン(R.W.Wilson)によって発見された三度Kの背景輻射はこの考え方を裏付けるものであった。
 背景輻射とは宇宙空間から等方的に飛来する電磁波のことで、その振動数と強度の関係のスペクトルは絶対温度で約三度の黒体輻射(理想的にまっ黒な物体から放射される電磁波)に一致する。電磁波は光の粒子である光子の集まりとも見なせるので、いいかえれば、宇宙空間は絶対温度約三度の光子のガスで満たされているということになる。ビッグ・バン仮説によれば、光子のガスは温度が約四〇〇〇度のころ、物質との熱平衡が切れ、その後は宇宙の膨張にともなって次第に温度を下げる。発見された背景輻射はまさにこの光子のガスと考えることができ、ビッグ・バン仮説の有力な証拠となったのである。
 さて、高温高密度の状態では衝突によって頻繁に粒子と反粒子の対生成が起きる。その結果、対生成による粒子や反粒子の数の増加と対消滅による減少とのあいだでバランスがとれた状態が実現し、粒子と反粒子の共存が可能となる。共存が許されない常温の地球上との大きな違いである。
 宇宙の膨張とともに温度が下がってくると、飛び交っている粒子や反粒子のエネルギーは対生成をするには不十分になってくる。その結果、対消滅が勝り、ついには粒子か反粒子、どちらか数の少ない方がなくなるまで対消滅が進む。対生成や対消滅では、粒子の数から反粒子の数を引いた量は変化しない。したがって、現在の宇宙が粒子からできているという事実は、高温高密度のときすでに粒子のほうが反粒子より多かったことを意味する。どれくらい粒子のほうが多かったかを標準的なビッグ・バン理論で推定してみると、その非対称度は一〇億分の一程度、すなわち一〇億個の粒子(あるいは反粒子)に対して差は一個程度というきわめてわずかな違いとなる。
 この粒子の数と反粒子の数のわずかな差は、宇宙が誕生したときに用意されていたのであろうか。そう考えることが許されないというわけではないが、いささか不自然な感じがする。宇宙進化の過程で必然的に粒子の数と反粒子の数に差が生じるような可能性はないだろうか。そのためには当然のことながら、単なる対生成と対消滅でない過程が必要となる。[中略]
 進化の過程で粒子の方が多くなったということは、何らかの過程において、粒子と反粒子でその反応に違いがあったということ、すなわち粒子と反粒子はまったく対等ではなかったことを意味する。粒子と反粒子が対等かどうかは素粒子物理学において、「CP対称性の問題」として知られているものである。CやPが何を意味するかは第2章で説明される。ここでは単に、粒子と反粒子が対等ならば、CP対称性である、あるいはCPが保存するといい、対等でないならば、CP対称性が破れている、あるいはCPが保存しないということだけを理解しておこう。したがって、宇宙進化の過程で粒子の数が反粒子の数より多くなるためには、CP対称性が破れていることが必要である。