野村克也『野村ノート』より

野村ノート

野村ノート

p.156-158

 ヤクルト時代は監督専任であるから実際に球を受けてやることはできないが、その分知識は豊富になった。上手で投げてだめならスリークォーター、スリークォーターでだめなら横手投げ、横手でだめならアンダースローから投げる。それぐらい極端な目で、この投手を何とか生き返らせられないかなと見てきた。その代表例が阪神での遠山だ。テスト生で阪神に戻って来たが、スピードは130キロ台前半。それでも本人は、快速球投手と呼ばれた若かりしころのピッチングを捨てられないでいた。そこで彼に「左ピッチャーは特に有利なんだ。投手には先発、中継ぎ、ワンポイント、抑え、と4つの役割がある。まずワンポイントからスタートしてみないか。それでよかったら、中継ぎ、さらによかったら先発と、こういう段階を踏んで取り組んでいけばいいんや」と話した。
 ワンポイントとなると、当時でいうなら巨人の松井、高橋由が打席に立ったときがいちばんの仕事となる。
 彼には真っ直ぐとスライダーしかなかったから、シュートを覚えさせた。シュートのキレをよくするために「ちょっと横へ腕を落としたほうがいい」ともアドバイスした。
 左打者にとって、左投手が横手から投じてくると、背中のほうから球が来るようで恐怖感を覚える。逆に少しでも内のシュートに意識があると外のスライダーにバットが届かない。松井、高橋由といった一流の打者が130キロにも満たないシュートにグシャグシャ詰まる。ベンチで見ていても痛快だった。
 その後、ワンポイントから1イニングを任せられるだけの中継ぎへと活躍の場が広がり、右の横手投げの葛西とのコンビで9回1イニングを任せる抑えにまで信頼度が高まった。
 遠山の場合、左打者限定(葛西は右打者限定)と条件がつくことから、厳密には抑えとはいわないのかもしれないが、遠山がワンアウトを取り、彼に一塁を守らせ、葛西がツーアウトを取り、再び遠山がマウンドに戻ってスリーアウト目を取る(打者の右左によっては葛西−遠山−葛西のパターンもあった)。この一人一殺が阪神の勝ちパターンとなった。
「思考が人生を決定する」と何度もいってきたが、彼は自分が生き残れる道を私とともに考え、その答えとしてシュートを覚え、シュートの効果をより高めるために腕を下げた。そうすることで、見事に甦った。われわれが教えられることといえばその程度のことである。だがたったそれだけで、ひとりの選手の野球人生が大きく変わったのだ。