保坂和志『プレーンソング』より

プレーンソング (中公文庫)

プレーンソング (中公文庫)

p.52-53

「だって、猫ってそういうものなのよ」
 と、答えてから、
「あなた、猫好きじゃないわね。まだ」
 と、こちらがうすうす感じていたことをするりと言うのは二十歳の頃と変わらないゆみ子の話し方で、ぼくはやはりそうなのだろうかとつい納得してしまう。それでも、
「でも、夜遅くなると新宿だって池袋だって、ノラ猫が歩いてるぐらい知ってるよ」
 と、反論してみると、
「そんなこと、どうだっていいのよ」
 と簡単に言われてしまいかけたが、
「そうかあ。
 いままでそういうことも知らなかったんだ。猫なんかどうでもいいと思っている人は、見ないものね。それはたいした進歩かもしれないなあ。
 でもね。
 あなたの事情は猫には関係ないから。
 もともと猫は、猫の見えてない人相手に歩き回ってるわけじゃないから。
 あなたに猫が見え出してはじめて、猫にもあなたが存在するようになっただけだから。
 やっと、あなたは存在をはじめたばかりなのよ。初心者」
 と、ゆみ子は独特の言い方をはじめる。
「だから、もっと謙虚になってつきあおうとしなくちゃ。
 あなた、もう煮干も置いてあげてないでしょ。
 猫って、一匹だけ選び出すのって、できないんだから。猫はつねに猫全体なのよ」
 と、こんな言い方をゆみ子はする。猫は一匹ではなくてつねに全体だなんて言い方は実に抽象的な表現に聞こえてもいいはずなのに、ゆみ子が言うとやはり具体的な表現なのだ。