佐藤正則『ボリシェヴィズムと〈新しい人間〉』より

ボリシェヴィズムと“新しい人間”―20世紀ロシアの宇宙進化論

ボリシェヴィズムと“新しい人間”―20世紀ロシアの宇宙進化論

「おわりに」から。

ボリシェヴィキの人間観と宇宙論に目を向けることによって、ボリシェヴィズムの形成過程と、ロシア、西欧双方の思想史上におけるその位置づけにも新たな展望が開かれる。
 まず、西欧思想史との関係でいえば、ボリシェヴィズムの第一の特徴である宇宙論は、西欧の二〇世紀初頭の思想的転換を踏まえ、当時の西欧の新しい思想を導入することによって形成されたものである。ボリシェヴィキの理論家たちは西欧での近代的精神の危機意識を共有しており、物心二元論決定論、機械論的宇宙論を否定し、みずからそれを脱出する新しい思考を切りひらこうとしていた。とりわけボグダーノフはそうした新しい思想を積極的に取りいれ、共同主観的な世界観、さらには有機体的、システム論的な宇宙進化論を構築した。新しい人間の創造の実験は、こうした新しい二〇世紀的な世界観を構築しようとするこころみとわかち難い関係にある。新しい思想を体現するために新しい人間が求められる。そうであればこそ、ボリシェヴィキのなかでもとりわけ先端的な知と教養を備えた理論家たちが新しい人間の創造に魅せられたのである。新しい人間の創造も、その多くは大衆に同じ経験、感覚を共有させ、経験を社会的に組織化しようとするもので、共同主観的哲学にもとづいていた。また、第二の特徴である感情や身体感覚への着目は、二〇世紀西欧の大衆社会で本格化した政治手法のロシアでの導入形態とみなすことができる。このようにボリシェヴィズムの宇宙論の解明は、ボリシェヴィズムを二〇世紀思想の流れの一環として把握することを可能なものとする。
 また、ロシア思想の文脈においては、ボリシェヴィズムをナロードニキに代表されるロシアの革命思想の系譜でとらえるだけでは不十分であることがわかる。ボリシェヴィキの理論家たちは、みずからの思想体系を形成する過程で、同時期のロシアの宗教思想家や神秘主義者、象徴主義者たちと、宇宙や人間、哲学や芸術といった問題をめぐって、さかんな論争や知的交流をおこなっていた。ボリシェヴィズムはこうした交流と論争のなかではぐくまれたものである。また、ボリシェヴィズムの宇宙論はロシア・コスミズムとの関連さえもうかがわせる。本書では論争と交流の存在を指摘するのみにとどめたが、それを丹念に追うことによって、ボリシェヴィズムの形成の過程について新たな知見がえられるばかりではなく、二〇世紀初頭のロシアの精神世界全体を新しい枠組みで書きなおすことができるだろう。