小川後楽『煎茶への招待』より

煎茶への招待 (NHKライブラリー)

煎茶への招待 (NHKライブラリー)

「序章 煎茶の誕生」から。

 現在の私達の携わっている「煎茶」の誕生は、茶の湯の歴史に比較した場合、たしかに新しい。「茶の湯」は、『大観茶論』などに見られる、中国宋代の喫茶法を取り入れ、仏教寺院の喫茶儀礼、たとえば余杭径寺の台子飾りに学ぶまど、中国の影響の下に出発し、さらに朝鮮半島での茶礼に学ぶことが多かった。皇帝の饗応の礼、道教、仏教など修行僧の生活礼式、たとえば宋代の「禅苑清規」等が、その形成に大きな役割を果たしている。
 鎌倉時代、英西禅師が日本に紹介した抹茶は、仏教、とりわけ禅の思想と不即不離な関係の中で、茶の湯として日本化したものであった。以来常に歴史の華々しい場面に登場して、幾多の茶人を輩出し、千利休による茶道の大成化にいたる、滔々とした大河の流れにも似た歴史を持っている。
 それに対し、わが国の「煎茶」は、江戸時代の初期に始まるとされ、そこには、時の権力者が関与した華々しいデビューの物語はない。あるいは、独立した茶人としての煎茶家の登場もきわめて曖昧であり、かれらが時代の流れの中で果たした役割も比較的地味なものといえる。そして煎茶は、禅よりは、いわゆる老荘思想無為自然な生き方に強い憧れを抱く、江戸時代の文人達が築いたもので、そこにも茶の湯との違いが感じられるのである。[……]
 ただ、わが国の茶道の歴史のうえで、茶の湯との関係において煎茶の登場をみるならば、それは、幕藩体制の中で腐敗堕落した茶の湯の世界を批判するという、強い意識の下に始まっていた。煎茶の隆盛期が、幕末維新という、わが国の近代化の歴史のうえで、ダイナミックな転換期にあたっていただけに、煎茶が尊皇攘夷の志士達とも関係する、興味深い問題を数々抱えることにもなっていた。そして、近代以降現代にいたるまで、いわゆる抹茶が、中世的な文化の香をとどめているのに対し、煎茶は近世的な精神を代弁するという色彩を濃厚にして両者は歩んできた。もちろん、中世的・近世的といっても、それは評価の問題としていうのではなく、むしろ美意識のとらえ方をいうのである。煎茶の世界では、先に述べたように、行き詰まりをきたした近世の抹茶の世界を批判した時点では、むしろ近代的とさえいってよいような強烈な個我の誕生が見られるのである。