ダナ・ハラウェイ他『サイボーグ・フェミニズム』より

サイボーグ・フェミニズム

サイボーグ・フェミニズム

「第一章 サイボーグ宣言」より。

現代SFは、サイボーグであふれかえっている−−動物であるとともに機械でもある生物がひしめき、自然と人工が曖昧な世界に暮らしている。現代医学も、サイボーグでいっぱいだ。この分野では、機械も生物も記号化された装置として溶接されるばかりか、性の歴史ではついぞ発生させられることのなかった機能を付与される。サイボーグの「性」−−それによって回復されるのは、たとえば生い茂るシダと無脊椎動物たちが織りなす絶妙なバロック世界だ(同性愛差別に対する有機的予防策として、これ以上有効なイメージもあるまい)。サイボーグの増殖は有機体の生殖とは区別されるが、近代的生産はむしろ労働のサイボーグ化を夢見ているかのように思われる。この夢を前にして、テーラー的な科学的経営管理の悪夢さえ、かわいらしいものと化す。そして近代戦争とは、シー・キューブド・アイ(C3I)、すなわち指揮command−管制control−通信communication−情報intelligenceによってコード化されたサイボーグ的乱交パーティにほかならず、このシステム実現に際して、アメリカは一九八四年に八四〇億ドルという国家防衛予算をつぎこんだ。
となると、サイボーグとは、すでに我々の社会的現実はもちろん肉体的現実をも縁どるフィクションではないのか。しかもそれは、さまざまな事実をじつに実り豊かに融合していく方途を示唆する点で、それじたい想像力の泉なのではないだろうか。ミシェル・フーコーのいう生体政治学(生−政治学)は、サイボーグ政治学という未踏の領域をゆるやかに予告するものだったのである。