稲葉振一郎+松尾匡+吉原直毅『マルクスの使いみち』より

マルクスの使いみち

マルクスの使いみち

「第3章 公正と正義」より。

稲葉◆実行可能性論の中心にある議論のひとつはやっぱり、末期社会主義におけるような部分的な形での市場導入はうまくいかない、ということでしょう。社会主義改革の過程の局面ごとに「製品市場導入」とか「利潤原理導入」とか、いろいろなことが散発的にずっといわれてきたけれど、最終的には「フルセットの資本主義じゃないとだめだ」ということになって、社会主義は崩壊したわけです。部分的に、たとえば製品市場だけ導入したとしても、ほかの市場、具体的には労働市場や金融市場がまだソフト・コンストレイント(soft constraint=ソフトな予算制約)なままだったら結局だめだ、と。じゃあ労働市場をやればいいかというとそれだけでは金融市場がやはりだめで、やはり個々の市場ではなくてトータルに全部の市場、商品市場だけではなくて労働市場、金融、銀行システムに株式市場というフルセットがないとだめだというところに帰着するわけですね。現時点での社会主義構想でいわれていることは、ひとつはかなりフルセットな市場経済のメカニズムがないとまずい、ということですよね。個別の商品だけではなくて、労働や資本、信用というものの配分についても市場を使わないとまずい、と。
 ところで、基本的には所有の仕組みと市場の仕組みがいるということと、インセンティブ両立性の問題が重視されるということは、敷衍するならばある種の人間観に行き着く。つまり、人間の本性は変わらない、そんなに無私になれないしそんなに賢くはなれない、ただ出し抜かれたり裏切られたりすることを嫌う程度には合理的だ、ということですね。「社会主義的人間」とか「共産主義的人間」を想定するというような人間改造思想が、二〇世紀前半くらいまでのマルクス主義においては強固にあったけれど、それは拒絶する、というのが非常に大きなポイントです。
吉原◆ここで論じているような現在の社会主義構想は、基本的に現状の人間社会から出発して当面できることは何かという観点から展開されたものですから、遠い将来にはもしかしたら人間の本性も変わってくるかもしれない、というような希望的観測の前提をもとに社会を描くという戦略ではないですね。当初のマルクス主義社会主義論にあった「人間改造」に対する楽観性は、同時に技術決定論的でもあるともいえます。つまり、生産力が極度に発達して、ほんのわずかの必要労働で、自分が欲しいだけのものを無限に確保できるという話になれば、もはや稀少な資源をめぐり人々が対立するという社会的問題を考える必要はなくなる。つまり、そうなれば人間の利己主義性というような問題も自動的に解決されるという発想ですね。しかしそうした発想は、地球資源の有限性や環境問題などが明確に意識されている現在では、本当の意味での説得的な議論にはならないでしょう。
稲葉◆しかしそうすると、現在の社会主義の結論的なポイントは、インセンティブの問題は重要であり、所有と市場は否定できないというものになりますよね。でも、それだといまいちリベラリズム、ジョン・ロールズ以降の現代リベラリズム、つまり経済的自由主義を尊重しつつ、平等主義的な観点から福祉国家的な再分配を求める立場と基本的には変わらんではないか、という話になってくると思いますが。
吉原◆ロールズは財産所有民主主義、プロパティ・オーニング・デモクラシー(property-owning democracy)を、彼のいわゆる正義の二原理と整合的な経済制度として考えています。財産所有民主主義という用語はもともと、イギリスの新古典派の経済学者ジェイムズ・E・ミード−−「ケンブリッジ資本論争」にも参加していた人ですけれど−−がいい出したものです。それは、富と資本の所有を分散させ、そうすることで社会の小集団が経済を支配したり、また間接的に政治生活までも支配してしまうのを防ぐように機能することを意図する経済制度と考えられています。それを経済活動の各期のはじめに生産的資産と人的資本の広く行きわたった所有を、機会の公正な平等を背景にして、確保することによって実現しようというものです。つまり各世代の経済活動に参加する人々に対して利潤請求権を均等に分配して、事前的に均等な条件をつくります。また、各世代が経済活動に参加する段階で必要な人的資本を所有できるように、教育訓練への均等な機会も保証するという制度です。
 他方、事後的な所得再分配は必ずしも重視しないというスタンスですよね。福祉国家制度が生産活動後の再分配を問題にするのとは対照的に、財産所有民主主義は生産活動に参加する前の初期状態を均等化するわけです。
 ロールズの財産所有民主主義の構想にせよ、ローマーの市場社会主義にせよ、人々が市場に参加する際の何らかの初期条件の均等化によって、分配的正義の基準にかなう経済的資源配分を実現しようという点で、共通の視座をもっているといえます。そのような視座を共有しているという点では、ロールズおよび、ロールズ以降の流れとアナリティカル・マルキシズムの構想がよく似ているというのは間違いないと思いますね。