河本英夫『システムの思想 オートポイエーシス・プラス』より

システムの思想―オートポイエーシス・プラス

システムの思想―オートポイエーシス・プラス

勅使河原三郎との対話「ダンス−世界と相即する身体運動のシステム」より

河本 何か新しい動きの方に入っていく時の最短距離の感覚はどう受け取られるんですか。
勅使河原 やはり「距離」がなくなる感覚ですね。先ほども「距離化」と言いましたが、ここからあそこまでの間というのは距離化ではなくて、距離化とは、「距離」と感じるものをこちら側に引き寄せる力だと思うんです。そういう、瞬間的にすべてが連なっていく時に速度が速まっていく感覚。これは肉体的な動きだけではなくて、感覚的な展開の速度においても言えると思います。だから、ぼくはワークショップで「力を抜く」という言い方をよくします。力を抜くってことに関しては本当に誰でも同じです。感じる時には知識がどれだけ邪魔になるか。例えば知識を生かすためにも、緩めないとその道具である知識は使いこなせない。
河本 結局、認識の側から入ろうとするとどこかで必ず壁に当たってしまう。壁に当たった時に、自分の身体、行為、運動を手探りで探し当てて、うまくソフト・ランディングさせていけば別の回路が見えてくる。力を抜いて、認識をずっと括弧に入れながら進んでいく動きの中で、空気や重力の自然性と相即の関係が形成できる。それは見ているものにとっては、一つの自然性の表現になっている。
勅使河原 あるのにちょっとしか見えない人が多いんです。見るための力の抜き方の訓練はかなり時間がかかります。全く新しいクリエイションという意味ではなく、「ある」と認識できなかったものがだんだん見えてくるということ。そういう意味で、その前にも認識はとても大切なことです、もちろん。そこに可能性があると思う。たくさんの素材や充分な身体があるのに何も見えないまま終わってしまう場合が多い。