アルフォンソ・リンギス『何も共有していない者たちの共同体』より

何も共有していない者たちの共同体

何も共有していない者たちの共同体

 人は、自分の洞察と観念を、それらのものが異議を唱えられるように、他者−−見知らぬ人、貧困者、審判者−−に曝すだけではない。人はまた、自分の裸の目、自分の声、自分の沈黙、自分の何も持っていない両手をも曝しているのである。というのも、他者、すなわち見知らぬ人は、彼または彼女の確信や判断だけではなく、彼または彼女の弱さ、傷つきやすさ[可傷性]、死すべき運命をも、こちらに向けてくるからだ。彼または彼女は、その顔、偶像、そしてフェティッシュを、人に向けてくる。彼または彼女は、地に返る土でできた炭素化合物の顔を、土と空気、暖かさ、血、光と影でできた顔を、こちらに向ける。彼または彼女は、苦しみと死すべき運命とによって傷つき皺がよった肉体を向けてくる。共同体は、人が自分自身を裸の人間、困窮した人間、見捨てられた人間、死にゆく人間に曝すときに、形づくられる。人は、自分自身と自分の力を主張することによってではなく、力の浪費、すなわち犠牲にみずからを曝すことによって、共同体に参入するのである。共同体は、人が自分自身を他者に、自分の外に存在する力と能力に、死と死すべき運命の他者に、曝けだす動きのなかで形づくられる。