宇野邦一『反=歴史論』より

反歴史論

反歴史論

 資質によってか、運命によってか、あるいは偶然によってか、他のもっと不可解な理由によってか、あるいは考えつくした末の選択によってか、自己の属する社会になじめないだけでなく、ほとんどこれと敵対するまでに異質な感性や思考をつちかってしまう人間たちがいて、彼らはその社会に対する敵意を、<歴史>に対する拒否として表明することがある。自己を生み形成し、自分の欲望や精神や言語、あるいは身体さえもつちかったものに対して自己を異質と感じる。幸いにして処刑や監禁、追放の憂き目にあわなければ、彼はみずからの属する社会が<歴史的変化>をとげるための何らかの触媒になり、その社会への強い異和感を創造的な機会に変えることができるかもしれない。
 一つの社会が、その中の異質な分子によって突然変異をとげ、たえず変化し、また変化自体を進歩や進化とみなす。放蕩息子や、贖罪の山羊や、裏切り者、あるいは亡命者のような存在が、結局は一つの集団を衰退や停滞や破滅から救うことになる。歴史をもつほどの社会は、必ずこのような否定的要素を肯定に変える危ういドラマを含み、このようなドラマをめぐって歴史を生み、歴史をしるし、次々書き改める。どんな異分子さえも、自己の中に取り込み、より複雑でより柔軟なシステムとなったこのような<社会体>に、それでも居場所を見出せず、また見出したくないものは、この社会に反逆するだけでなく、この社会の<歴史>に敵意をむけざるをえない。
 たしかに<歴史>への敵対や批判さえも<歴史>をもつ社会に固有の現象であり、それがまた<歴史>の展開の一要素になっていくかもしれない。あるいはまた<歴史>の批判は、場合によっては、ほとんど修復が不可能なほど、その歴史との断絶として生きられるしかなく、一つの社会体のなかに決して弥縫しきれない裂け目や穴やカオスを刻むかもしれない。

 一つの物を孤立させ、そのなかにそれ独自の、唯一の意味を流れこませるこの能力は、見る者が歴史を廃止することによってだけ可能になる。あらゆる歴史から身をはぎとるためには例外的な努力が必要である。(ジャン・ジュネ『アルベルト・ジャコメッティのアトリエ』)

 歴史がなんらか過剰になると生は崩壊し退化し、最後にはまたこの退化を通して歴史そのものも退化することになる。(ニーチェ『反時代的考察』小倉志祥訳)

 このいかにも断定的で、ほとんど歴史的なものの全体にむけられた弾劾は、いったい歴史における何にむけられているのか、このとき一体「歴史」という言葉によって何が意味されているのか。正しい歴史と誤った歴史、良い歴史と悪い歴史があるのではなく、歴史そのものが、ここではほとんど有害な何かとみなされている。

アルベルト・ジャコメッティのアトリエ

アルベルト・ジャコメッティのアトリエ

ニーチェ全集〈4〉反時代的考察 (ちくま学芸文庫)

ニーチェ全集〈4〉反時代的考察 (ちくま学芸文庫)