フロイト『精神分析学入門』より

精神分析学入門〈1〉 (中公クラシックス)

精神分析学入門〈1〉 (中公クラシックス)

精神分析学入門〈2〉 (中公クラシックス)

精神分析学入門〈2〉 (中公クラシックス)

 夢の働きの第三の作業は、心理学的にはいちばん興味深いものです。それは、思想を視覚像に〈変換する〉作業です。ここで、頭に入れておいていただきたいのは、この変換を受けるのは夢の思想の全部ではないということです。原形を保って、顕在夢のなかでも観念や知警として現れるものもあります。また、視覚像は観念が変換される唯一の形式でもないのです。しかし、それにしても変換は夢の形成における本質的なものです。[……]この作業が容易でないことは明らかです。その困難さを理解していただくには、みなさんが、新聞の政治問題に関する論説を一連の図解で置きかえるという課題をおひき受けになった場合を考えてみればよいでしょう。つまり、アルファベット文字から象形文字に逆行させられたようなものです。この論説中に名があげられる人物や具体的事象は、容易に、しかもおそらくはかえってぐあいよく絵で代理させることができるでしょう。しかし、抽象的なことばや、前置詞のような不変化詞、接続詞などのような思考関係を示す品詞の全部を、絵で表現することには困難を感じるにちがいありません。抽象的なことばでも、みなさんはいろいろ技巧を用いてなんとか絵にするでしょう。たとえば、論説のテキストを、おそらくあまり耳なれないが、しかし、一段と具体的で表現しやすい構成要素を含む他のことばに置きかえてみようと努力されると思います。おそらくそのとき、たいていの抽象的なことばとは、具体的なことばの色あせたものだなと思われることでしょう。したがって、みなさんは、できるかぎりこれらの抽象的なことばを、その根源の具体的な意味にまでさかのぼってとらえようとなさるでしょう。そうすると、たとえば、あるものを「所有する」(Besitzen)ということばは、実際にそのものの上に坐っている(Daraufsitzen)姿で表現できるのを知り、愉快になることでしょう。夢の働きもこれと同じことをするのです。表現の精密さを求めることは、このような事情のもとでは無理でしょう。ですから、夢の働きでは、たとえば具体的に表現することが困難な姦通(Ehebruchすなわち結婚Ehe生活の破滅Bruch)は、他の破滅Bruch、たとえば脚部骨折(Beinbruch)で代理するということで我慢するわけです。こういうやり方で、アルファベット文字を象形文字に代えようとする場合に、後者の未熟な点を補うのです。[……]「なぜ、だから、しかし」等々の思考上の関係を指示する品詞を図解する場合には、先のような補助手段はないのです。それゆえ、テキストのなかのこれらの品詞は絵に変わるときに失われてしまいます。同じように、夢の働きによって夢の思想の内容も、事物と活動という原料に分解されてしまいます。もしも、それ自体としては図解できないある種の関係を、すこしでも精密な絵にして暗示できる可能性が生まれれば、みなさんはそれで満足できるでしょう。それとまったく同じことで、夢の働きは夢の潜在思想の内容を顕在夢の形態上の特異性、すなわち明瞭度や不明瞭度の具合とか、数個の部分への分割などいによって表現するのです。一つの夢が分解されて生じる部分数の夢は、ふつう顕在夢のなかの主題の数、すなわち思想の系列の数と一致します。たとえば、主題夢の前にみる短い夢はそれにつづくくわしい主題夢に対して、しばしば序論とか動機づけという関係になりますし、夢の思想中の副文章は、顕在夢中にときどき挿入される場面の転換で置きかえられます。ですから、夢の形式は、それ自体けっして無意味なものではなく、それ自体が解釈を要するものなのです。