『マイルス・デイビス自叙伝』より

マイルス・デイビス自叙伝〈1〉 (宝島社文庫)

マイルス・デイビス自叙伝〈1〉 (宝島社文庫)

p.90-

 しばらくしてわかったもう一つのことは、ほとんどの黒人ミュージシャンが、音楽理論を知らないことだった。バド・パウエルは、すばらしいピアノが弾けて、楽譜も読めて作曲もできる、オレの知ってる限りじゃ数少ない一人だった。年とった多くのミュージシャンは、学校に行くと白人みたいな演奏になってしまうとか、理論を知ったりするとフィーリングがなくなってしまうと信じ込んでいた。バードやレスター・ヤングコールマン・ホーキンスといった連中も、博物館や図書館に行って楽譜を借りようとさえしないし、他のところで何が起こっているのか、知ろうともしない。オレにはそれが信じられなかった。
 オレは図書館に行って、ストラビンスキーやベルグプロコフィエフら、クラシックの偉大な作曲家の楽譜を借りていたが、それは、ジャズ以外の音楽で何が起こっているのか知りたかったからだ。知識は自由の産物で、無知は奴隷制度のものだが、自由と隣り合わせの人間がそれに手を出さないというのが不思議だった。手に入れられるのに、黒人ということだけで手を出さずにいることが、オレにはわからない。そんなことはすべきじゃないとか、白人だけのものだなんて考えるのは、ゲットーのクソ精神だ。仲間のミュージシャンにこんなことを言うと、みんなシラケたって顔をする。忠告のつもりだったんだが……。で、オレは自己流でやることにして、人に説教するのは一切やめた。
[……]オレとフレディは、バードとディズが出ていれば、どこにだって聴きにいった。もし彼らを聴き逃すと、何か大事なことを忘れたような気分になった。彼らの音楽はどんどん変わっていったから、自分の耳で確かめるしかなかったんだ。オレ達はあの頃、まるでサウンドの科学者だった。技術的にも進歩したし、クラブの外にいても音程をピタリと言い当てることができた。