灰野敬二の言葉

人からもらったプリントに引用してあった言葉。

だから僕はみんなにいってるんだよ。もっと自分をさらけだせって。むきだしもしないうちから、嘘だの知ったかぶったところでたかがしれてるんだよ。かつてブルー・チアーがフットボール場に巨大なマーシャル・アンプをずらずらたくさん並べて、大音量で演奏したのはなぜか。そこではその、ものすごい雑音がいっぺんかれらをばらばらにして、同時に内へと入らせたからなんだよ。釈迦があんな風になれたのも、やはりはじめに呪ったからなんだ。ビートニックが影響を受けた一連のジャズメンたちのぐじゃぐじゃな生活とかね。一瞬一瞬が“終わったよ”“終わったよ”ってどんどん続いてって、それが一本の線になるでしょう。言葉だって、たとえば「あ」という一語でも何本もの線がからみあってリズム、呼吸を作っている。それは点どうし線どうしのふれあいになっているんだね。だから凄いんだよ。もし音楽にそれができたら、今までにまったくなかったものだろうね。逆にいえば、そういう内外が砕け散って宇宙に飛んでいく音楽しか僕はやりたくないよ。パワフルでなおかつ誰かとからみあおうとするもの。