中野重治『むらぎも』より

むらぎも (講談社文芸文庫)

むらぎも (講談社文芸文庫)

 哲学−−方法論−−だいたい言っておれは汎神論者だゾという思いが頭をもたげてくる。春になると、祖母が小豆粥と斧とをもって屋敷じゅうの果樹をまわって歩いた。「これやアおどれ貴様。今年ならんと承知せんゾ!」そういって斧で幹に切りつける。夏になると、墨壺を安吉に持たせた祖父が藪へはいって行って、新竹の腹に丑の三十とか寅の三十五とか書きつけて行く。藪の出口で、青大将があらわれて祖父の足くびをずるっと巻く。顔いろの変った安吉が立ちすくむ。「よし、よし。大事ない、大事ない。」といって、祖父が歌うような調子で「このさとにイ……」ととなえる、「かのこまだらのォ、むしあらばア、やまだちひめとォ、かくとォかたらアん……ほれ、見い。行く、行く……」安吉の目の前で、青大将がからだを解いてするするっと草のなかへかくれて行く。橋に茣蓙を敷いて坐っていると、山の方で大きい稲妻がする。雷鳴の伴わない、非常に幅のひろいまっ青な明るい稲妻。その下で青田が一面にぱっと照らされるたびに、「ほら、稲に実のはいるぞオ。ほら、また光った……」と子供ながらに祝福した。あれがおれの哲学だ。