『ウィリアム・フォーサイス、武道家・日野晃に出会う』

ウィリアム・フォーサイス、武道家・日野晃に出会う

ウィリアム・フォーサイス、武道家・日野晃に出会う

日野晃による「あとがき」より。

 言うまでもなく、出会いとは、言葉でも事象でもない。
 しかし、言葉や事象を媒介にしなければならない。
 この言葉や事象だけを取り出してしまえば、出会いはないし人は存在しない。
 もしも、今回の出来事を、武道とコンテンポラリー・ダンスが出会った、とのみ思う読者がいたなら、それは余りにも感性が貧しい。武道とダンスなど、もともと出会えるはずもないのだ。
 武道にしろダンスにしろ、それはいずれもそれに取り組む人間の、その時点での一つの表現形式に過ぎない。
 そして、表現したときにのみ現われる虹のようなものだ。
 フォーサイスは言った。
クラシック・バレエというものがあると思っている。同じように武道というものがそこにあると思っているが、そんなものはどこを探してもない」と。
 つまり、武道は、武道を取り組む人間次第、ダンスも同じだ。
「FEEL and CONNECT」をできる人間が出会ったのだ。
 武道を分身とする私、ダンスを分身とするウィリアム・フォーサイス、分身を共通項とした私とウィリアム・フォーサイス、そしてダンサーたち……だから出会えたのだ。
 もちろん、分身とは、まぎれもなく「愛」だ。
 これはけっして私の思い込みではない。その証拠に、カンパニーのアンダーもアマンシオもシリルもマーツも、海を渡って日本に来る。
 そしてこれは今回限りのことではない。今、幕が開いただけのことだ。
 これから起こることの予兆に過ぎない。ウィリアム・フォーサイスと安藤洋子、そして私が出会ってしまったからだ。
 出会ったあとは「創造」しかない。
 私たちは、まだ旅の途中だから。