谷崎潤一郎『武州公秘話』

谷崎潤一郎が優れた小説家であることに疑念の余地はないのだけれど、『武州公秘話』はその出だしのとっつきにくさからか非常にマイナーな扱いを受けている小説だと思う。しかしこの小説は谷崎の小説の中でも面白いランキング上位に入賞することは間違いない。

武州公秘話 (中公文庫)

武州公秘話 (中公文庫)

舞台は戦国時代。主人公の武州公は幼少の頃に見た「鼻の欠けた首」−−戦場で倒した相手の首を斬る暇がない時、やむを得ず鼻を削いで持ち帰り、戦いの後で鼻を首と照合する習わしがあった−−に死に化粧をする女性の美しさに魅惑され、鼻のない顔を想像すると興奮するという性質を持つようになる。そしてそれから色々あって自分の主君に秘かに反逆する。謀略や忍び的なことをしながら、主君の鼻を削ぎ殺していくという話。
いわゆる谷崎的な要素(語りの構造、マゾヒズムなど)もふんだんに取り入れつつ筋のダイナミックさもよくできているのだが、一番面白いのは最後の部分。主君(則重)が、武州公が影で手配した戦によって攻め込まれ、いよいよ終わりとなって介錯を求めているシーン。ただし、則重は武州公(とほのめかされる人物)の以前の不意打ちによって、鼻も唇も欠けているというところがミソ。それで則重は言葉をちゃんと発音できないんですね。

「ぶ、ぶひの情けら、ほのはたなをはえひてふれ! ほれはひのふびをほってはならんほ!………」
此の急な場合に、慌てるせいか愈々則重の云うことは聞き取りにくゝなるのであったが、
「武、武士の情けだ、その刀を返してくれ! 某の首を取ってはならんぞ!」
と、多分そう云っているのであろうと、そこまでは察しがついたので、
「さ、武士の情けを思えばこそ、お止め申すのでござります」
と、公は優しく、舊主に対する礼節を失わずに云った。
「−−憚りながら、もはや寄手の者共が此処へ押し寄せて参ります。此処でお腹を召されましたら、某はお見逃し申しても、必ず御首を戴く者がござりましょう。さすれば末代迄の御耻辱、………」
「へ、へ、へるかつ!」
「はっ」
「はいほの頼みら! はいひゃふひへふれ!………ほ、ほれはひのふびを、らえにも見へむに葬むっへふれ!………」
「はっ、何? 何と仰っしゃいます?………」
公が返事に困っていると、則重はしきりに、
「はいほの頼み、………はいほの頼み………」
と、苛立ちながら繰り返しては、
「ほれはひのふびを、………ほれはひのふびを、………」
と、自分の首をさし伸べて、手で斬る真似をしてみせた。

おそるべき諧謔。何が台詞に書かれているのかわからず、爆笑してしまいましたが…。
谷崎は「端正で完璧な文体」というのが永井荷風以来の評価なのであまり言われないことだと思うけど、こういった意味不明感を持つ言葉に対する嗜好が、後半生になればなるほど増えていく。『卍』や『細雪』なんかの大阪弁の問題や、『台所太平記』の鹿児島弁など、方言の意味不明さ(標準語から見て)を取り入れて言語の攪乱自体が重要なモチーフになっているところがあり、こういう面から谷崎について語る人が出てもいいだろう。谷崎は、言語の解釈行為自体が倒錯的であるということを熟知していたのだと思う。
近年になって、多和田葉子野崎歓といった、外国語の経験から谷崎について考える人たちが出てきたことは、この点に大きく関わってくることなのではないだろうか?

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