購入(『暗い時代の人々』『エロ事師たち』『東京小説』『論理の哲学』)

某新刊書店にて購入。
アレントは1995年に河出書房新社より刊行されたバージョンの文庫化。

暗い時代の人々 (ちくま学芸文庫)

暗い時代の人々 (ちくま学芸文庫)

目次より(数字はアラビア数字に換えました)。

はじめに
暗い時代の人間性 レッシング考
ローザ・ルクセンブルク 1871-1919
アンジェロ・ジュゼッペ・ロンカーリ ローマ教皇ヨハネス23世
カール・ヤスパース 賞賛の辞
カール・ヤスパース 世界国家の市民?
アイザック・ディネセン 1885-1963
ヘルマン・ブロッホ 1886-1951
ヴァルター・ベンヤミン 1892-1940
ベルトルト・ブレヒト 1898-1956
ワルデマール・グリアン 1903-1954
ランダル・ジャレル 1914-1965

カバー写真は大山恒夫。日本の点字ブロックのアップだと思いますが、ちょっと不思議な感じ。アレントもまさかこういうカバーで自著が翻訳されるとは思いも寄らなかったでしょうが、カバーを付ける事自体も翻訳の一部であると思わされます。

エロ事師たち (新潮文庫)

エロ事師たち (新潮文庫)

その書店ではたまたま『東京小説』の文庫本出版に合わせて野坂昭如の小説が並んでたので、購入して卒読。今さらですが、こらおもろいわ。
澁澤龍彦の解説より。

[野坂]氏自身もエッセーなどでしばしば語っていることであるが、オナニズムを最高のエロティシズムとする氏の性の世界は、純粋に観念の世界、想像力の世界なのだ。男と女がベッドで正常の営みをして、正常の興奮やら満足やらを味わうといったような、世間一般の小説や映画のなかに数限りなく出てくる性愛のパターンが、野坂氏の小説のなかには、ほとんど一つも出てこないということに注意していただきたい。端的に言えば、野坂氏の興味はいつもエロティシズムの否定面、あるいは欠如体としてのエロティシズムにのみ向けられているのである。

このような澁澤の言葉は確かに、『エロ事師たち』が官能小説とは言えず、それは例えばどこか「救済についての本」としての側面を持っていると思わず譫言してしまう要素を掬っているけれども、「世間一般の性愛のパターンが出てこない」ことと「欠如体としてのエロティシズム」を結びつけるのはいささか性急すぎないだろうかと思う。ここに描かれている性の様態はもう少し多様(というにはちょっと微妙な感じもするが)な気がするし、性行為は結局オナニズムだと言うことにさして興味深い意義はない気もするのだが?

東京小説 (講談社文芸文庫)

東京小説 (講談社文芸文庫)

解説&帯の言葉は、町田康

そんな崩壊と喪失、常に変貌するフィクションのような東京という街で、人間という心と身体を持った動物が生きる様子を、もう一度フィクションでくるんで描いたこの一連の物語を、いまの東京に生きる私はずっと読んでいたいと思った。(中略)この優れた作品を成立させている大きな要素として一行読んで作者のそれとわかる、迂回的でありながらきびきびした文章がある。

あと一冊。

知の教科書 論理の哲学 (講談社選書メチエ)

知の教科書 論理の哲学 (講談社選書メチエ)

目次より。

第一章 論理学と哲学  飯田隆
第二章 嘘つきのパラドクス  津留竜馬
第三章 ソリテス・パラドクス  吉満昭宏(※吉の上部は士ではなく土)
第四章 完全性と不完全性  遠山茂朗
第五章 論理と数学における構成主義−ある議論  岩本敦
第六章 論理主義の現在  三平正明
第七章 計算と論理  照井一成
第八章 自然言語と論理  峯島宏次

論理学の前提を考えるためにも。なんだかんだ言って「知の教科書」シリーズはお得な本も結構多いと思う。