『プロレタリア文学とその時代』

栗原幸夫著『プロレタリア文学とその時代』読了。

プロレタリア文学とその時代

プロレタリア文学とその時代

1971年に平凡社から出版されたものの増補新版。第二次大戦前〜後の日本の左翼周辺の思想・文学状況を知るのには最早古典的な一冊。古びない鋭い指摘が多くある。

プロレタリア文学の前史にはふたつの断絶があります。ひとつは、近代文化(ブルジョワ文化)からの断絶です。それを遂行したのはロシアではフォルマリストや未来派の前衛芸術家たちです。ドイツでそれを実行したのは表現派の人たちです。日本では「マヴォ」のグループや『赤と黒』のアナーキスト詩人たちでした。彼らはひとしく芸術の革命を、さらには文化の革命を志向しました。しかし彼らの運動はどれも挫折し短命に終わりました。それは革命運動におけるスターリニズムの制覇と無関係ではありません。そこに第二の断絶が生まれました。そしてプロレタリア文学とはこの第二の断絶の産物、革命芸術の挫折の表現だったというのが、現在の私の考えです。(「増補版まえがき」より)

とか、

プロレタリア文学の側にとって、内容と形式の問題は大衆化問題から直接に導き出された[……]。注目すべきことは、事態は新感覚派においても同様であったということである。いいかえれば、この文学の世界に新しく登場した大衆にいかに接近するか、ということこそが、内容と形式をめぐる[昭和初期になされた]全論議の基本的なモチーフであった。そしてその点では、新感覚派プロレタリア文学派も、まったく同一の場に立っていたのである。いやより正確にいえば、同一の場の対極というべきであろう。

とか、今読んでも十分に面白い。
あとは、戦前のプロレタリア文学者たちにとっては、「党」こそが「理論」と「実践」を統一させる主体形成的な契機として存在したということもよくわかる(小林多喜二等)。勉強になりました。