再びペ・ヨンジュン

昨日の黒柳徹子とペ氏のテレ朝の会見を観たけど、以前よりペ氏への自分内好感度が上がっていることに気づく。
その番組を見ていて改めて思わされたのだけれど、ペ氏の特徴はやはり「やさしさ」だろう。本人が実際どういう人格かは知る由もないが、とにかく映像から醸し出されている雰囲気は「やさしさ」だとしか言いようがない。
顧みてそこから日本の俳優・タレント界を思い出してみると、「やさしさ」を特徴としている人は誰一人としていないことに気づく。草なぎ剛堂本剛がやさしそうか。否(バラエティーを知ってるからか)。少なくとも若手では誰も「やさしさ」を売りにしている人はいなそうだ(…モト冬樹は「やさしい」のかもしれない。だがかなり質が違う)。
この、メディアにおいて「やさしさ」を表象しないという態勢は、いつ頃から出来たのだろう。単なる私見で言えば、それは「楽屋オチ」という仕掛けが拡大された、とんねるずの出現頃からのことなのではないか。その頃から、「やさしさ」というものを表現することは「世間知らず」の表象であり、「リアルではない」という了解がいつの間にか形成されてきた気がするのだが。…かなり適当に書いてるけど。
だがここでは、仮にその考えを推し進めてみよう。80年代頃からお笑い番組を中心として、〈メディアにおいて表現される「素朴」な表現はリアルではありえない〉という考えが、ちょうどバブル期の「から騒ぎ」とリンクして、テレビに登場する人々の顔つきを作っていったのではないか。そして、その了解を共有しない視聴者たちが今、ペ氏の「やさしさ」をストレートに受け取ったのかもしれない。
ある時期以降の日本のテレビ俳優やタレントが、反リアリズムを意識しつつ、結局はシミュラークル的な装置の入れ子状のイメージ(楽屋、業界、世間etc.)の中にリアルの感触を作り出すことを目指してきたとするなら、最早そのような「(反)リアリスティック」な方向付けもまた、ある種のスローガンに過ぎなかった、ということがヨン様人気からは反照的に見て取れるのかもしれない。
まあこの現象については誰かが社会学的にちゃんと言ってるでしょうが…妄言多謝。