『ガダラの豚』より

隆心師は、この世の摩訶不思議、霊も化物も転生も、すべてを実在として容認している。ただし、飽くまで人間の魂を領土とする「実在」として。
もっとざっくばらんに言えば、隆心師にとっては、オカルティックなものが「非在」であれ「実在」であれ、「どうでもいい」ことなのだった。自分が認める認めない、客観的科学が認める認めない。そんなことは師にとっては「放っといたらよろしい」ことなのだ。宗教家としての師は、非在に対してであれ実在に対してであれ、自分が「功徳をあらわし」、それによって人が少しでも楽になれば十分なのだ。

ガダラの豚 1 (集英社文庫)

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ガダラの豚 2 (集英社文庫)

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ガダラの豚 3 (集英社文庫)

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らもさんも今になって読書中。まだほんとに読みはじめ。上記の引用は、冒頭部の隆心師についての描写から、興味深かった部分を。これって、オカルティックなものに対する結構うまい態度であると思うのだけれど。というか、この態度って精神分析家的とも言えそう。