ボサノバの歌声

フレンチ・ジャズを日本に広めたピエール・バルーがやっているレーベル「サラヴァ」からでてるパンフに、オレンジペコーの人たち(藤本一馬・ナガシマトモコ)とバルーの対話が載っているんですが、そこにあった興味深い一節。

ピエール●(中略)ブラジル音楽といえばやはり最初にハーモニーとかリズムが耳に入ってきますが、そんな豊かさの裏に詞が隠れています。当時ブラジルは圧制下にあり、中でも作詞家に対しては検閲が強かったんです。
ナガシマ●それは聞いたことがあります。
ピエール●本や映画といった目に見えるものは検閲することができますが、歌は止められないものだからです。いつどこで、たとえばドアの隙間を通って広まっていくのかわからないでしょう。そんな中でカエターノ・ヴェローゾはロンドンへ、シコ・ブアルキはイタリアへ追われたのです。その後帰国してからアルバムを作っても国からの検閲があり、それを通らないと発売ができなかったんですよ。
ナガシマ●それで、うまく隠喩の表現を使って歌詞を作っていたと聞いたことがあります。
ピエール●そうですね。そんな立場のシコ・ブアルキが一曲だけでしたが当時三千人の前でコンサートをする機会がありました。しかしその場である歌詞を歌いたかったのですが、検閲があるので彼は歌えないんです。そこで仕方なく♪ララララ…で歌ったんですよ。ところがそれを聴いた三千人が彼の代わりにその歌詞を歌うんです。
藤本・ナガシマ●すごい!素晴らしい!
ピエール●だから作詞家というのは大きな存在なんです。私にとっても歌詞はことのほか大事ですね。
藤本・ナガシマ●なるほどー。

わたしもなるほどー。ボサノバの歴史にはいろいろな闘争があるとは聞いていましたが、こういう話を読むと、また聴き方が変わってきそうです。

サウダージ

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Itchi Go Itchi E

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LIVE 2004

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