『精神と自然』とメール

精神と自然―生きた世界の認識論

精神と自然―生きた世界の認識論

グレゴリー・ベイトソンの次の一言は、メールのやりとりにもぴったりなことを言ってる気が。

手紙を書かないこと、謝罪しないこと、猫に餌をやらないこと―これらはすべて、状況(コンテクスト)次第で、十分かつ効果的なメッセージとなり得る。「ゼロ」もまたコンテクストに応じた意味をもちうるのだ。しかもコンテクストをつくり出すのは、メッセージの受信者である。適切なコンテクストを備えておくことこそが、受信者の側の技量にほかならない。[中略]彼は学習かラッキーな突然変異―つまりランダムな襲撃のまぐれ当たり―によって、その技量を獲得しなくてはならない。受信者は、ある意味で、今後のしかるべき発見に備えて用意を整えておくことが必要なのである。

にゃるほど。
メールって返ってこないと異様に不安になる面があるのは、紙の手紙よりもやりとりの速度が速いから、そのやりとりにかかった時間自体もまたメッセージとして受け取られてしまうということなんでしょうね。