マイケル・ジャクソンとヴィデオ・クリップ

BS2で「プレイバック! 全米ヒット・チャートNo.1」をつけながら夕食をとる。1950年代〜90年代までの全米ヒットチャートをリクエストで延々と。赤坂泰彦司会。
そっかーアメリカ文化ってポップスのことだったのかとつい思わされてしまう。当時好きでない曲でも、流行してたというかよく流れてた曲って、久しぶりに聴くと懐かしいのは何故でしょうかねー。
しかしマイケル・ジャクソンやっぱすごいわ。マジで。あの人の動きはもし道が違えば超一流のダンサーになれたんじゃないかとすら思う(今でもすでにそうか)。いま裁判とかいろいろあるけど、まぎれもないスターであることだけは間違いない。
番組自体は結果的にビデオクリップ集とも言えるつくりになっていて、そこがラジオのリクエスト番組と違うところだなと思いました。それに関して、『クロニクル 20世紀のポピュラー音楽』の1985年のアメリカ・イギリスの項目から引用を。

 音楽ヴィデオの出現が音楽産業の仕組み、演奏者の音楽作り、消費者の受容、そして音楽のありよう自体に大きな変化をもたらした。それまではコンサート会場に足を運ばない限り、ときおりのTV出演画像以外には歌手、器楽奏者が演奏する様子を目にすることはかなわず、アルバム・カヴァーなどの静止写真が視覚情報の中心だった。ところが1981年のMTVの出現により、業界宣伝媒体であったヴィデオ・クリップがメディアに乗り、さらに新工夫を凝らした新曲披露の動画が日常的になった。
 聴取に加えて視覚による知覚を強調するその歌唱演奏の動画が80年代前期にマイケル・ジャクスン大人気をうながしたのは必然であり、直接にも間接にも目にする機会が限られていた、歌唱演奏に伴うしなやかに躍動する舞踊が一般化したことは画期的なことだった。[中略]
 画面を通してながら視覚享受を復活させ、かつ強調するその音楽ヴィデオは、変化してきたユニセックスジェンダーセクシュアリティなどの諸相をおのずと強調することにもなり、現にマイケル・ジャクスンの一種のピーター・パン性はレコードのみでは表しがたかった。同じくマイケル・ジャクスン人気に見られるように人種を越えた消費者拡大もその視覚要素が促進させ、黒人と白人のロックの橋渡しをしながらゲイ・イメージを強調するプリンスがもてはやされ、化粧したジャパンをはじめとしたニュー・ロマンティックス動向に続いてボーイ・ジョージが女性的化粧と衣装で評判となった。女性自身としては、周辺的パンク/ニュー・ウェイヴの動向の一部としてスリッツ、リリパットレインコーツといった女性のみのバンドが輩出したのを背景として、MTVは、賑やかな衣装のシンディ・ローパーに脚光をあびせる一方、ジェンダー問題を大衆化するマドンナを人気者にすることに貢献した。

なるほどねえ。そういうものですか(「女性自身としては」って言い方は雑誌名かと思いましたが(笑))。確かにマイケルはムーン・ウォークとかすごいインパクトですもんね。「スリラー」のクリップとか凝りすぎ(っていうか長い。ジョン・ランディス監督)なのも、そう言われてみると象徴的なものが。ヴィデオの登場によって、一気にイメージとしてもロックの産業化が進んだということでしょうか。
しかしこういう記述を読んでいると岡崎京子の初期のマンガとかを連想してしまう。80年代はわたしが物心つく前に終わったのでリアルタイムと言えないけど、「東京ガールズブラボー」が80年代へのオマージュとして描かれていたんでそれが記憶として呼び起こされることに。あとマドンナのヌード写真集を『知の技法』で松浦寿輝さんがとりあげて話題になったりとか(笑)。そっちの方は覚えてるけど。

クロニクル 20世紀のポピュラー音楽

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↑この本はアメリカに限らず世界中のポピュラーミュージックを年代記的に記述してて面白いです。
東京ガールズブラボー 上巻 ワンダーランドコミックス

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東京ガールズブラボー 下巻 ワンダーランドコミックス

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