安岡章太郎『海辺の光景』

海辺の光景 (新潮文庫)

海辺の光景 (新潮文庫)

おもしろーい。「戦後最高の文学的達成の一つ」という、カバーの宣伝文句は伊達じゃないぜ。
四方田犬彦さんが解説を書いてます。その冒頭を引用して説明に代えます。

『海辺の光景』は、安岡章太郎の作家としての生涯の初期にあって、もっとも強烈な輝きをもち、それを結節点としてその後の巨大な物語群が築きあげられることになったという点で、記念碑的な意味をもった作品である。
 この中編は高知と鵠沼というふたつの海辺を二つの中心とする、楕円に似た構造をもっている。語られているのは、そこに帰還しようとする主人公の内面を中心とした、現実と回想の交錯である。主人公の信太郎は、年齢にして三十歳代中頃だろう。高知の精神病院から母親危篤の知らせを受けた彼は、元陸軍の獣医であった父親とともに病院へ向かう。以後、母親が息を引き取るまで九日間にわたって、二人は病院に滞在する。

……という話なんですが。文章も妙に肉感的で迫ってくるものがある。坂口安吾は「戦後文章論」という文章のなかで安岡の文体を「生き物のような文章」と喩えてますが、そこそこ当たっている気がしますね。軽くて読みやすいくせに、なんかこうねっちり後をひく感じがあるというか。以下は小説の冒頭部分。

 片側の窓に、高知湾の海がナマリ色に光っている。小型タクシーの中は蒸し風呂の暑さだ。桟橋を過ぎると、石灰工場の白い粉が風に巻き上げられて、フロント・グラスの前を幕を引いたようにとおりすぎた。
 信太郎は、となりの席の父親、信吉の顔を窺った。日焼けした頸を前にのばし、助手席の背に手をかけて、こめかみに黒みがかった斑点をにじませながら、じっと正面を向いた頬に、まるでうす笑いをうかべたようなシワがよっている。一年前に見る顔だが、喉ぼとけに一本、もみあげの下に二本、剃り忘れたヒゲが一センチほどの長さにのびている。大きな頭部にくらべてひどく小さな眼は、ニカワのような黄色みをおびて、不運な男にふさわしく力のない光をはなっていた。

とにかく主人公信太郎の眼の冷徹さが怖い。小説家の恐ろしさを思い知らされる気がする。心理描写も徹底させると、いかに冷徹なものになるかということを示している作品のような気もしますね。かといって自然主義的ではないんですが。主人公の父も母も何考えてるかわからないし不気味だけど、それゆえにかえってドキュメンタリー的な要素すら感じさせる筆致。
またこの作品については、何か考えることがあったら追補します。

ガラスの靴・悪い仲間 (講談社文芸文庫)

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