東陽一「やさしいにっぽん人」

昨日のことになりますが、フィルムセンターで東陽一監督「やさしいにっぽん人」を観ました。はずかしながら「サード」すら観ていないわたしが「にっぽん人」を観ようと思ったのは、2003年の山形ドキュメンタリー映画祭で沖縄特集がやっていた時、そのパンフにこの作品が載っていたことを思い出したから。ちなみにわたしは当時はスケジュールと山形市の地理的都合もあって(沖縄特集は市の中心地とは少し離れた場所でやっていた)、残念ながら全然沖縄関係の映画はみれず。ほとんど目にすることがない68年革命のドキュメンタリー映像とかみに行っちゃってたなー。あと賞とった「鉄西区」も長過ぎて尻込みしてしまったんですけど、いつかみてみたいですね。
「やさしいにっぽん人」http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD19454/
フィルムセンター http://www.momat.go.jp/fc.html
山形ドキュメンタリー映画祭オフィシャルサイト http://www.city.yamagata.yamagata.jp/yidff/home.html
それはともかく、まずフィルムセンターの慷概をどうぞ。

終戦間際、沖縄・渡嘉敷島の集団自決を生き延びた赤ん坊は、やがて「シャカ」と呼ばれる青年となり、迷える魂を抱えたままツーリングに出る。後に幻燈社を興して『サード』『四季奈津子』などの東陽一監督作品を製作した前田勝弘が、監督とともに脚本に携わった一本。
’71(東プロ)(脚)前田勝弘(出)河原崎長一郎(シャカ)(監)(脚)(音)東陽一(撮)池田傳一(美)平田免郎、永沼宗夫(音)田山雅光(出)緑魔子伊丹十三、伊藤惣一、石橋蓮司蟹江敬三、寺田柾、横山リエ、渡辺美佐子大辻伺郎、平田守、桜井浩子東山千栄子秋浜悟史、陶隆

とのこと(河原崎長一郎って亡くなってたんですね。知らなかった)。まずパンフのこのあらすじを読んでから映画をみたんですが、筋としてはまあこうとしか言いようがない感じかもしれない。もちろんみれば分かるんですが、シャカ(「謝花」治という名前で、沖縄民権運動の先駆とされる謝花昇がダブらされている)が冒頭で警察官に理不尽に暴力を振るわれて、勤務先に行くと同僚がベンヤミン「暴力批判論」を朗読する……といった様々な出来事は起きる。起きるんですが、シャカはそれらを決定的なアイデンティティにすることができず、反射的に向かっていくことができない人間として描かれていることが特徴ですね。【※以下、映画の結末書かれてます。】
伊丹十三演ずるシャカの勤務先の主任は言ってみれば生活実感を重んじる人。怒りを感じたという事実を行動に移すべきだとシャカに語る。石橋蓮司演ずる小西は政治家やプロパガンダたちの虚言を集め、それらを「虚言という現実」として提示するという諷刺的な映画の製作を夢見る、シャカの同僚。伊藤惣一演じる野口は、シャカの恋人であるユメ(緑魔子)がつとめる劇団の演出家で、経験の固有性は語り得ないものかもしれないけれども、それを表現にすることこそを目指している。
これら三人の語るところは明解だ。そして何かしら政治的な問題をはらんだ芸術は、おそらくこれらの意見のどれかの問題意識は持つのだろうと思う。だがシャカの問題は異なっている。彼には確かに集団自決を生き延びたという幼少時の経験はあり、体につけられた傷がそれを物語っているのだが、彼にはその記憶は全くなく、さらにはその記憶を我有化し捏造することの欺瞞性にも気づいてしまっている。要するに、そういった特殊な過去を何かしらの行為の起源として自己をつくりだしてしまうことが、まさに神話的暴力の次元と同じ位相にあることに彼は気づいてしまっているのだ(この意味で、山形パンフで「二重に疎外」された状況にシャカがあるという説明は不適だと思う)。そのため、彼は上記の三人のそれなりに正しい三様の意見に頷くことができない。映画の後半はそのようなシャカのオートバイによる放浪がはじまる。それはおそらく、暴力もしくは権力の起源とは永劫に手を切るための、「自分の言葉」を求め肯定するための道程なのかもしれない。だが、渡嘉敷島をバイクで目指すものの、最後に彼はオートバイに火をつけ、途上でたたずむところで映画は終わる。
このシャカの彷徨をどのように考えればよいのか、今のわたしには答えはでない。だがひとまず何か言ってみるとすれば、このシャカのような自己の固有性自体へのつまずき、その経験の次元を捨てずにしかも疑うということは重要な態度なのではないかと思う。そして、このように観客にマシンガンのように思想や言葉を投げつけ、思考することを強いる映画は、なぜ現在ほとんど撮られることがないのだろうかということを考えざるをえない。しかしこの映画は、映像的にみても冒頭の霧の中からオートバイが駆け抜けてくるシーンの夢幻感や、また緑魔子の歌声を聴くことができることなどはそれだけでもすばらしいし、東山千栄子(本人!)が公衆電話で「東京物語」のパロディをやるところなどは爆笑もの。2月20日にもやるので、お暇がある方は是非みてもらいたいと思う。