ソダーバーグの『ソラリス』/レムの『ソラリス』

オーシャンズ12』が公開間近だからでしょう、WOWOWスティーブン・ソダーバーグ監督の『ソラリス』がやってました。スタニスワフ・レムの古典SF小説ソラリス』(訳によっては『ソラリスの陽のもとに』)を原作とするこの作品は、既にタルコフスキーによって『惑星ソラリス』として映画化されてることは有名だけど、それのリメイクとして作られた。と上映当時聞いてた記憶が。劇場でみそびれていたので、今回初チェックしてみました(すみません吹き替え版でこんなこと書くのに問題はありそうですがどうかご勘弁を)。

筋としては、知性を持った不思議惑星ソラリスの探査船の調査(監査?)に来たジョージ・クルーニー(ケルビム*1という役名)が、ソラリスの力によって昔彼のせいで自殺してしまった妻を再生させられてなんじゃこりゃーと迷う話、としたらいいんだろうか。えーSFなんで、これでわけが分らない人は映画みてみてください。あるいは下の画像とかからリンクたどってみていただけると。
感想。途中というかラスト直前まではわりとよかった気がしたよ。宇宙船のメタリックな質感も突出してないまでも雰囲気は出てた気はするし、音楽の感じも決して出過ぎずかといって引きすぎずという感じで。ジョージ・クルーニーの演技も(つうか吹き替えで何がわかると言われればそれまでですが)好ましく観れました。相手役の女優さんは眼が印象的な以外はちょっと個人的にはどうかなという感じでしたが。
だけどラスト。わたしとしては「そりゃないだろ」という感じだったな〜。以下ネタバレなんでこれからビデオででも観る予定のある方はとばしてください。
まあ、ケルビムは結局探査船を離脱せず、むしろソラリスに突入する船に残ることを選択するわけなんですね。というのは、地球にいた時の彼の妻の自殺の原因は彼が妻を見捨てるような言葉を言ったことにあったんじゃないか……とケルビムはずっと後悔してて、でむしろソラリスに捨て去られる船に残ることで今回は妻(のようなもの)を見捨てないぞーという選択をする。で二人夢なんだか現実なんだかよくわからない世界のようなところへ行ってしまい、最後は妻(のようなもの)に「わたしたちは皆許されてるわ」と言わせてエンド。
う〜ん……これって、要するにトラウマから回復するためにはその状態を再演する必要があるとかそういうこと? 確かに死者の復活というのはキリスト教圏にとっては大きなテーマでしょう、ラストの妻らしきもののセリフって神の国に入ったって感じだし。でもそれをトラウマ→回復の話にしちゃっちゃあなんか単なる心理劇のような気もするし、結局ソラリスの設定にした意味がないんじゃないかなあ。まあ、そこにアメリカにおけるある種の問題が描き出されていると言われればそうなのかもしれませんが。……こう思うのは、たぶんタルコフスキーバージョンが(かなり昔にみたんでほとんど忘れているんですが)汎神論的・神秘主義的な映画で、「知性とはなにか」「生命とはなにか」的なテーマが見えてる感じだったから、無意識のうちに比較してしまってるんでしょうけど。
でもまあこの点に関しては、各々別のテーマに挑んでいるとすれば優劣はないとも言える。だけど、ソダーバーグバージョンで興ざめなのは、なんか安易に救いが出てきてしまってそれがひどくガックリくるというか、かえって失望してしまうんですよね。彼の作品はあとは『トラフィック』しか観てないんだけど、これもラスト直前までは結構スリリングにみれてたのに、ラストがほんと安易でちょっと腹立った覚えがあるなあ。
確かに、『ソラリス』原作を読むとソダーバーグの描いたような記憶に関するテーマも描かれてはいるんです。ソダーバーグのケルビムは、同じ過ちを二度繰り返さなかったことで救われるのでしょう。ただ、このような描き方が原作の可能性を独自に引き出しているかというと、留保せざるをえないんじゃないでしょうか。原作者のレムは『ソラリス』についてこう書いていました。ちょっと長いんですが。

[『ソラリス』では異星人のような]ある特殊な文明を具体的に示すことよりはむしろ、「未知のもの」をそのもの自体として示すことのほうが私にとって重要であった[中略]。私はその「未知のもの」を一定の物質的現象として、物質の未知の形態以上のものとして、人間のある種の観点から観れば、生物学的なもの、あるいは、心理学的なものを想起させるほどの組織と形態をもちながらも、人間の予想や仮定や期待を完全に超えるものとして描きたかったのである。[中略]
ソラリス』は星の世界を目指す人類と未知の現象との出会いの一つのモデルケース(私は精密科学の用語を使っている)である。私はこの作品によって、宇宙には思いがけないことが待っていること、すべてを予見し、すべてを前もって計算に入れておくことは不可能であること、星の世界の「菓子」の味は実際にそれをかじってみること以外に知る方法がないことを語りたかったのである。実際に、宇宙では何が起こるかわからない。

小説を映画化する際には、必ずしも原作を踏襲する必要はないでしょう。だけど話を男女の間に絞るにしても、もうちょっとこの「未知のもの」っていう要素に関しては追究してほしかったなあ、という感じがわたしとしてはしてしまってしょうがない。「存在の本質的な許し」ということだけでは、この「未知のもの」の射程には届かない気がするのですが。少なくとも、そこには安易な解決はないだろうということをほのめかしてほしかった。それをやってしまうと映画は破綻して、うまくエンディングに結びつかなくなってしまうのかもしれない。でも、必要ならばそれをやるという勇気こそがみたいんだよなあ、と制作者の苦労も知らず勝手に思ったりもするのでした。
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*1:智天使」の意