フェリックス・ガタリ『分裂分析的地図作成法』より

分裂分析的地図作成法

分裂分析的地図作成法

リトルネロと実存的情動」から。

《夢のなかで私が泥棒を恐れるとき、泥棒は想像だが、恐れはまさしく実在である》と、フロイトは『夢判断』のなかで述べた。夢のメッセージの内容は、変形や修正や歪曲を受けうるが、夢の情動的次元や情動的構成要素はそうではない。情動は主体性に密着しているのだが、それは、ミンコフスキーがてんかんを記述するために用いた性質をふたたび使えば、粘着気質的な仕方によってである。ただし情動は、それを言表するひとの主体性にも、その相手の主体性にも密着している。だから情動は、話し手−聞き手という言表作用の二分法を無効にする。スピノザは、情動のこの他動的性質を完全に見いだした(《……われわれ自身がその感情を抱かずに、ある種の感情を抱いているほかのひとの存在を表象すること[ママ]できない》)。スピノザはまた、この他動的性質から、彼が《欲望の競争心》と呼ぶものが生じ、多極的な情動のもろもろの構成要素が展開することを見いだした。こうして他者の悲しみを通してわれわれが感じる悲しみは憐憫となり、一方《ほかのひとのわれわれに対する憎しみを思い浮かべるには、われわれの方が彼を憎まなければならない。そして、この憎しみは、怒りや残酷さとなって現れる欲望の破壊なしにはすまない》。したがって情動は、本質的に前個人的なカテゴリーであり、自己同一性の確立《以前》に生じ、その起源からみても方向からみても、位置を特定できない転移によって現れる。憎しみはどこかに存在するのであり、それはアニミズムの社会において、先祖の霊や、それと同時にトーテムの動物によって、あるいは神聖な場所の《マナ》、儀礼的な入墨や儀式的舞踏の力、神話の語りなどによって、よい影響や悪い影響が広まるのと同様である。こうして記号化の構成要素の多声性が得られるのだが、これら構成要素は、それでもなお実存的な完成を求めている。人間の魂の色あいであり、また動物への生成変化や宇宙的呪術の色あいでもある情動は、あいまいで、雰囲気的なままではあるが、移行の境界や極性の逆転が存在するという特徴がある限り、完全に把握することができる。ここに見いだされる困難は、情動が言説的なものに限定されないこと、すなわち、線形的に理解できるシークェンスに従って変化し、互いに両立しうる情報の記憶のなかに蓄積された、弁別的対立のシステムに基づいていないことにある。この点で情動は、ベルクソンのいう持続に似て、数えられる延長的カテゴリーには属さず、実存的自己位置決定に対応する強度的・志向的なカテゴリーに属する。情動を量化しようとするや否や、その質的次元、その特異化や異質生成の力、言い換えれば出来事的な構成要素、情動が全面に押し出す《此性》は失われてしまう。このことはフロイトが情動を、衝動エネルギー(リビドー)の量とその変形との質的表現にしようとしたときに、彼が犯した過ちである。情動は、異質であろうとする持続の絶えざる創造による実存的所有のプロセスである。このような理由でわれわれは、科学的パラダイムに依拠して情動を扱うことをやめ、はっきりと倫理的・美的パラダイムに向かわなければならない。