スティーヴン・ジェイ・グールド『ダーウィン以来』より

ダーウィン以来―進化論への招待 (ハヤカワ文庫NF)

ダーウィン以来―進化論への招待 (ハヤカワ文庫NF)

「第11章 竹とセミアダム・スミスの経済学」から。

ダーウィンの理論は、個体のレベルを越えたより高次の原理を提唱しているのではない。生物はすべて、個体自身の利益、すなわち将来の世代に自分自身の遺伝子だけを伝えることだけを追求していると主張する。[中略]
 この問題は、アダム・スミスが、調和のとれた経済への最も確実な筋道として「レッセ・フェール」として知られる自由放任政策を唱えたときに直面した問題と類似している。スミスは次のように論じた。すなわち、理想的な経済は、秩序だっていて、バランスのとれたものと見える。けれどもそれは、自分自身の最大の利益のみを追求し、それ以外の道にはしたがわない諸個人の相互作用から「自然に」現れてくるはずである。より高次の調和へと向かう明らかな傾向は−−と有名な隠喩を使ってスミスは論じる−−一つの「見えざる手」の作用を反映しているだけだ。

あらゆる個人は……その生産物が最大の価値をもちうるようなしかたでこの産業を方向づけることによって、かれは自分自身の利益だけを意図しているわけなのであるが、しかもかれは、このばあいでも、その他の多くのばあいと同じように、見えない手に導かれ、自分が意図してもみなかった目的を促進するようになるのである。……かれは自分自身の利益を追求することによって、実際に社会の利益を促進しようと意図するばあいよりも、いっそう有効にそれを促進するばあいがしばしばある。
(『諸国民の富』(三)大内兵衛・松川七郎訳、岩波文庫。五六頁)

 ダーウィン自然淘汰という自己の理論をうち立てるに当たって、アダム・スミスの理論を自然に対して応用した[中略]。