佐藤卓己「連続する情報戦争」より
- 作者: 倉沢愛子,成田龍一,油井大三郎,杉原達,テッサ・モーリス・スズキ,吉田裕
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2006/01/11
- メディア: 単行本
- クリック: 7回
- この商品を含むブログ (4件) を見る
総力戦において平時と戦時の区別が曖昧となることは、すでに戦前からイデオロギーを超えた常識であった。日中戦争勃発から約一ヵ月後に情報委員会が発行したパンフレット『国防と思想戦』では次のように宣言されている[情報委員会一九三七、三−四頁]*1。
思想戦、経済戦、外交戦は平時に於ても不断に行はれて居る。只平時に於ては戦時の如く露骨なる形を取らないで、常に裏面に於て巧妙且執拗に行はれてゐるのである。「ソ」連邦の世界赤化の思想戦、独伊の現状打破と英米仏の現状維持の主張等皆其の現はれといふことが出来る。〔中略〕要するに思想戦は平戦両時を通じて間断なく行はれる一種の文化戦争と云ふべきである。
また、戦前を代表するマルクス主義者である戸坂潤も同年執筆の「戦争ジャーナリスト論」でこう分析している[戸坂一九六七、二〇三頁]*2。
戦争は社会秩序の或る特殊の象面や位相であって、社会秩序以外のものではない、と共に、いつからそして又どこからが戦争で、いつからが常軌の社会秩序であるかの区別も、近代戦に於いては次第にその絶対性を失って来る。
「戦前」から断絶することなく連続したマス・コミュニケーションの領域では、「十五年戦争」という「戦後」的枠組みによって見えなくなってしまう事実が少なくないのである。それゆえ、メディア史研究であえて「戦後」をいうならば、それは第一次世界大戦後を考える方がまだしも合理的である。第一次と第二次の大戦は、二〇年間の休戦期間を挟んでいるとしても、ヨーロッパにおいては総力戦の第一幕と第二幕にすぎない。極東においてもシベリア出兵、山東出兵、満州事変、日中戦争と戦火が途絶えることはなかった。
《第一次大「戦後」のメディア》
しかも、マス・メディアとプロパガンダの時代は第一次大戦とともに幕を開けた。後に電波戦とも呼ばれ、対外的な思想戦の主役となった「放送」も第一次大戦中の新造語である。「放送」という訳語の公文書初出は、一九一七年一月インド洋航行中の三島丸が「ドイツの仮装巡洋艦に警戒せよ」と発信所不明の「送りっ放し」の電波を傍受し「放送を受信」と記載した報告書とされている。
さらに、日本で「全国紙」が台頭するのもこの時期で、『大阪朝日新聞』『大阪毎日新聞』はともに一九二四年元旦号で一〇〇万部達成を宣言している。出版産業も同様であり、満州事変、日中戦争の「戦争景気」を踏切板として日米開戦まで急成長を続けていた[佐藤二〇〇二a]*3。
もちろん、メディアの検閲を担当した情報局や内務省警保局などの組織、治安維持法や軍機保護法などは一九四五年中に廃止されたが、占領下ではそれ以上に厳しいGHQの検閲と「プレス・コード」「ラジオ・コード」ほかの統制が存在していた。つまり、メディア史において一九四五年に大きな断絶など存在しないのである。
こうしたメディア環境の連続性を明らかにする研究は、近年多く積み重ねられてきた。それでもなお、戦前と戦後の分断を強調する歴史記述はメディア研究においても依然有力である。ある意味、それはメディア研究が「マス・コミュニケーション研究」の枠組みで行われる限り繰り返される宿命といえるかもしれない。なぜなら、マス・コミュニケーション研究はGHQの指導により「民主化の科学」としてアメリカから「戦後」輸入されたという起源神話を研究パラダイムとしているからである。