ジャック・デリダ『そのたびごとにただ一つ、世界の終焉』より

そのたびごとにただ一つ、世界の終焉〈1〉

そのたびごとにただ一つ、世界の終焉〈1〉

アルチュセールの二十面相」より。

 友人の死に際して自分自身の死に同情する、こうした心の動きにある耐えがたい暴力を見つけても、私はそれを慎む気にはなれません。これは私の中でルイを保ち続け、私の中で彼を保ちながら私を保ち続けるただ一つのやり方であります。皆さんもそうしているでしょうし、私たち皆がそうしていると、私は確信しています。各々が、喪がなされてからしか存在しない彼の記憶や引きちぎられた彼の断片の歴史と共に、そうしているのです。この歴史は、豊かで、波瀾に富み、特異な歴史でした。凶悪な悲劇でもあり、今なお考えにくく、私たちの時代の歴史と分かちがたく、私たちの時代の哲学、政治、地政学の歴史すべてでそれはおおわれていました。この歴史は、私たちの各々が彼のイメージと共になおも把握しているものなのです。多くのイメージがありました。最も美しいものもあれば、最も恐ろしいものもありました。しかし、そのどれもが今やルイ・アルチュセールの名を持つただ一つの冒険と離れがたく結びついています。ここにいる方々全員のために語ることができると思うのですが、この時代への私たちの帰属の中で拭い去りがたいものは、彼の痕跡であり、彼が求め、実験し、一番危ない危険を冒したものの痕跡なのです。また、彼のあの尋常ならざる情熱が持つ、決定されたり中断されたりする行動、独断的でもあれば不安げでもある行動、矛盾しているが首尾一貫してもいる行動、ひきつった行動、これらの行動すべての痕跡なのです。この情熱はいかなるものも容赦しないため、彼は芝居のごとく、砂漠や沈黙の大きな空間と共に、休みなく働きました。目の眩むような退却、陽動作戦、充分な兵力での包囲突破。それは強力な噴火のようであり、火山のまわりの風景を変えてしまったがために、彼の書物の各々がその焼けるような痕をとどめているのです。
 ルイ・アルチュセールは、多くの生−−まずは私たちの生でありますが−−を貫き、多くの個人的な冒険、歴史的な冒険、哲学上の冒険、政治上の冒険を経験し、その存在、語り、教育の流儀によって、またその思想が持つ輝かしい挑発力によって、多くの言説、行動、存在に跡を残し、方向を修正し、影響を与えたので、最も多岐にわたり、最も矛盾に満ちた証言も、その源泉そのものを汲み尽くすことはできないでしょう。私は哲学や政治についてだけ彼と話をしているわけではありません。私たちの各々がルイ・アルチュセールと異なる関係を持ち、次のことを知っています。まず、この特異なプリズムの中では一つの秘密を垣間見るだけであり、この秘密は私たちにとっては汲み尽くせないものだけれど、彼にとっても全く違った形で底なしのものであったということを。それから、ルイが他の人たちにとっては別人であり、時に応じて顔が異なり、ユルム街[高等師範学校のある通り]やフランス各地での教育の場とその外で、そして、党の内外で、さらに、ヨーロッパの内外では、それぞれ異なる顔を持っているということを。私たちはそれぞれ異なるルイ・アルチュセールを愛していました。ある者はひと時を、また別の者は十年間、ある者は−−私が幸運にもそうだったように−−、最期に至るまで彼を愛していました。この豊かな多様さ、つまり、彼の特徴でもあったこの過剰さそのもののために私たちがしてはならないことは、全体化したり、単純化したり、彼の歩みを止めたり、軌道を固定したり、利益を引き出したり、線引きしたり、強引に決着をつけたりすることです。それから、我有化したり、再我有化したりすることです。たとえそれが、拒否と呼ばれる操作や、計算づくの再我有化というあの逆説的な形を取るにせよ、してはならないのです。また、我有化不可能であったもの、不可能なままにとどめねばならないものを捕捉して、支配することもしてはいけません。たぶんその各々が千の顔を持っているのです。しかし、ルイ・アルチュセールを知った者たちには、彼においてこの法則が、誇張された驚くべき輝かしい例として見出されます。彼の作品の偉大さは、まず第一に、作品が証言するものや、危険を冒すものによって示されるのです。またこの偉大さは、作品があの多様な輝きによって貫き、破砕し、幾度となく中断させたものによるものでもあります。さらには、大きな危険を冒し辛抱強く耐えたからこそ、作品は偉大なのでもあります。彼の冒険は独特なものでもあり、それは誰にも所有できないものなのです。