Notre Musique

ひっさしぶりに午前起きで午後一杯ヒマという休日。ここしばらくは珍しく何故か朝から晩まで何がしかの用事が入っていて、キツいわけではなかったけどとにかく時間の余裕がなかった。午後どうしようかと考えた挙句に、まだ行ってなかったゴダールの「アワーミュージック」を見た。
「アワーミュージック」というタイトルに改名(犯罪的だと思うが)されてしまったこの映画の構成は、地獄・煉獄・天国というダンテの『神曲』の三部構造に則っている様子。「地獄」では様々な戦争や死体の映像(いわゆるフィクションもドキュメンタリーも混ぜられている)の洪水が流され、「煉獄」ではサラエヴォに映画講義に向かうゴダールとそれに交錯する女子学生オルガの話。「天国」ではどうやらオルガの見るだろう死後の世界の様子(河辺)が写されているようだ。
この映画から個人的に強い印象を受けたのはどうしてもこのサラエヴォの映像だった。というのも私にはクロアチア人の友人がいるので、この映画と彼女を切り離しては見れなかったからだ。彼女が時折話してくれた戦争の影のようなものが、映画で浮かび上がらせられるサラエヴォの戦火の痕や市街の様子と結びつけられて、胸がしめつけられる。彼女が住んでいたのは、こういう所だったのか。…ゴダールの映画とこういう風に遭遇してしまうとは思いもかけなかったが、非常に切迫したものに感じられた。
映画自体については、言いたいことがなかなか結実しないので大したことは書けなそう。ただひとつ、「地獄」におけるイマージュの氾濫から「煉獄」を経、「天国」に至る中で、オルガの強い眼差しは何を結びつけ重ね合わせて見ようとしていたのか、この無数にあるイマージュの「内戦」の中から(「切り返しショット」としての「パレスチナ」と「イスラエル」のように)どのような音と映像を組み合わせた「音楽」を彼女が作り出そうとしていたのか…という考えが頭に浮かんだ。
それにしても監督の言葉、

9.11のテロリストもそうですが「もう何も失うものがないからこそ、何かを獲得することができる」と彼らは思っている。そこがオルガ、つまり私との違いです。もう何も獲得できないときにも、なにかを失うことはできる、というのが私の考え方です。

という言葉は、非常にハードに響く。
http://www.godard.jp/index.html