『モハメド・アリ−その生と時代』

モハメド・アリ――その生と時代(上) (岩波現代文庫)

モハメド・アリ――その生と時代(上) (岩波現代文庫)

モハメド・アリ――その生と時代(下) (岩波現代文庫)

モハメド・アリ――その生と時代(下) (岩波現代文庫)

1960年代のブラック・パワーとヴェトナム侵攻という時代の中で、単なる一人のボクサーではなく人種・宗教・歴史・メディアといった様々な要素を多面的に兼ね備えるシンボルとなった、モハメド・アリ(旧名キャシアス・クレイ)の優れた伝記、兼歴史の記録。アリ本人も含む、数多くの人々の証言から構成されている。
この本を読んでいると、アリはたんにビッグマウスであったというだけではなく、どこか詩人的な気質を持っていたのだと思わされる。例えば、アリと三度闘ったジョー・フレージャーとの試合(第一戦)前の舌戦から、試合当日についてのアリの言葉。

「当夜は、イギリス、フランス、イタリアなど、あらゆるところで人々が待ち受けているだろう。エジプトとイスラエルは四五分間の休戦を宣言するだろう。サウジアラビアイラク、イラン、さらには中国と台湾もだ。天地開闢以来、こんな夜はなかったぜ。人々は通路で歌い、踊るだろう。そして、すべてが終われば、モハメド・アリが世界チャンピオンとして正当な地位を占めるだろう。そして、俺がやつを打ちのめした後は、リング上で俺が打ちのめされないかぎり、俺のタイトルは渡さんぜ」

こんな台詞、亀田三兄弟では出てこなそうな気がするなあ。ビッグマウスはあっても、自分の試合に注目して世界中の戦争が休戦するだろう…とか、アリ以外の誰が言える? 「人々は通路で歌い、踊るだろう」なんて、ほんと詩。アリ自身は教育はそれほど受けていない人だが、イスラムに対する信仰心が強く(ネイション・オブ・イスラム)、かつリングの中でも外でも本能的にどうすればよいかを察知できる、頭の良さを持った人だったらしいと書いてある。
さらに、アリの振る舞いで一つ面白かったのが、彼の警護に関する話。

アリの驚くべき側面のひとつは、彼自身あらゆる感情をぶつけられる矢面に立っていたにもかかわらず、ほとんどの自衛策を鼻であしらったことである。アメリカの一九六〇年代は暴力と暗殺の時代であった。ある種の人々のなかでは、アリはアメリカで最も憎むべき人間であった。だが、彼は公然と自由に移動するのをやめなかった。一九七〇年代に、暴力は世界中に広がった。テロが不満分子や目覚めた者にとって最高の武器となった。しかし、アリはあいかわらず好きなように動き回った。「俺にはボディガードもピストルも必要ないよ」と彼はよく言っていた。「神が俺のボディガードだ。アラーが俺を守ってくださるのだ。たとえば俺が一〇万人の群衆といっしょにスタジアムに入って行くとしたら、誰かが俺に銃弾を撃ち込むのを止められやしないぜ。だが、そんなことを心配なんかしちゃいられんよ。恐怖でいっぱいになっているやつは、生きていけないし、人生を楽しめないぜ。だから俺は神が俺を守ってくださると信じてるんだ。俺たちが召される時はアラーが決めてくださるよ」
かくして、アリの“安全を守る”措置としては、せいぜい交通整理をするくらいで、あとは無事を祈るだけという場合が多かった。

とか、アリを10年間警護した警官の話として、

「…彼[アリ]といっしょにいたことで、私のような警官も影響を受けたよ。彼と会った時、私は比較的若かった。二九歳ぐらいだったが、警官になってから、まだそれほど経っていなかった。若い警官というのはいつも人をブタ箱にぶち込むことに興味があるんだ。だが、アリと付き合って、人に助けを求められるような警官になることのほうが大事だと思ったね。彼は私にじっくり人の話を聞けと教えてくれた。彼を見ていて、力は人を威嚇するようなやり方で使うもんじゃないとわかったよ。彼は非常に気遣いをする人だった。他人に対し非常に気を遣っていた。しばらくすると、他人にたいし彼のような感じ方をするのが正しいんだとわかってくるんだ」

という言葉が載っている。昨今のテロ対策を煽る様々な機関の主張する、「安全保障対策」の持つ「威嚇」的な性質と対比すると、なかなか示唆的な話ではないだろうか。「恐怖でいっぱいになっているやつは、生きていけないし、人生を楽しめないぜ」。