転向

藤田省三の転向論を読む(『共同研究 転向』の中巻、「昭和十五年を中心とする転向の状況」より)。
なんとなーく気になったところだけメモ。

 制度の建設者は、ほとんど、デモクラシーへの一定の断念を持つものである。それはデモクラシー国家の建設者においても異ならない。「人民」の自発的活動の結果が制度的結晶をもつに至るためにはほとんど永久的時間が必要であり、制度の建設者はその無限過程の中断のうえに成立するのだという考え方は、「サムエル記」から近代国家の建設者、更に社会主義国家設立者に至るまで一貫している。巨大な建設者にしばしば人間「性悪説」が採用されているのは、彼らがこの断念の質と程度において強く、したがってこの断念の原理化がおこなわれたことによる。(「サムエル記」、ホッブスの哲学、アメリカ建国の祖父の哲学、マキャベリズム等を想起せよ。)

ここから戦前の(いや戦後も)日本の組織はこの断念には縁のない、無責任な相互もたれ合いの社会であることが指摘されてゆく。所々で藤田の鋭く熱い指摘と考察が光っている文章。