引用(クロソウスキー)

ピエール・クロソウスキー『ローマの貴婦人−ある種の行動の祭祀的にして神話的な起源』(1968)より

実際の経験は生殖行為から逃れられないが、宗教はこれをまさしく宇宙の経験に組み込む。祭式は行為をその単調さから解き放ち、そのイメージを多様化する。イメージは生殖行為というはたらきの動物性を解き放ち、そこに新たな領域をひらく。すなわちここに生まれるのが遊技であり、さまざまな遊戯の形式であり、これらが生殖行為というはたらきを聖なる宇宙の隠れたる無償性に関係させるのである。生殖行為は国家の世俗的繁栄にとって有用なものであるが、そこに君臨し、豊饒を約束する神々は、供犠を、そしてほかならぬ見世物を要求する。このことによって、神々は単に生殖行為と同一視されうるばかりでなく、神々はその原理として、永遠であるがゆえに無尽蔵な存在を表象することをみずから明らかにする。永遠であるというのは、目的を欠いている、すなわち無用であるからだということができるのである。[……]眩暈の魅惑は性行為のうちに存在するが、行為そのものをはるかに越え出て、さまざまな神聖なる形態をとるにいたる。平衡が図られなければならない。創造の仕事と破壊のたえざる誘惑とのあいだには、たがいに代償行為が必要なのである。

性と神話について。
『変身物語』などの神話・物語でなぜあんなに神々はムチャクチャなのか?を重ね合わせて考えると、クロソウスキーのこの本は非常に興味深く読める、かも。