堀江敏幸『郊外へ』
Blogに関する考えはいろいろある。日本最大のトラックバック数をたたき出した真鍋かをりも先日の日記で、自分のきわめてパーソナルな事柄しか書いていないはずの文章が、無数の人々に読まれリファされることに対する感慨をもらしていました(2月8日)。またそれとは別に、今日知ったニュースによると、CNNのニュース報道責任者がブログを通じた圧力によって辞任に追い込まれた様子。ブログは個人の日記ともなれば、ロビイングの道具ともなるわけですね。
http://manabekawori.cocolog-nifty.com/blog/2005/02/post_1.html
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050212-00000414-yom-int
それじゃあわたしはどういうつもりでこのブログをつけてるか、というと。わたし自身は、このBlogを情報のターミナルだとか、パーソナルな日記とか、あるいはデータベースとして特化させることは特に考えていなくて、そういったものは書いているうちに必然的に混じってくるものだろうという程度にとらえています。内容的にはレビューが多くなっていますが、実際上はちょっとエッセイに近いものとして書いてみようかな、と今のところ考えているのです。
よく言われることですが、「エッセイ」という言葉は「随筆」と訳すとちょっと違って、むしろ「試し」というニュアンスが強いわけです。試しに書く。何を試しているのか? それは、文章のなかで何か新しいアイディアを書き付けることができるか、そういうことへのエッセイなわけです(とわたしはとらえています)。まあ、できているかどうかはともかくとして……。
ところで、現代のエッセイの名手としては、堀江敏幸がいるんじゃないかと思います。彼の文章は、文体の官能性もありながら美的な感性のみに流れることもなく、伝えたいことの核もちゃんと持っているという点で非常に稀有なんではないでしょうか。もともとわたしが堀江さんの何に一番驚いたかというとその文体で、仏文系といえば蓮實文体とその亜流しかないのかなーとか生意気にも思っていたその昔、そういったわたしの狭いイメージを打ち砕いてくれたのがこのエッセイ集だったのでした。
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哀れなパリ郊外、みなが靴底をぬぐい、唾をはき、通りすぎていくだけの、都市の前に置かれた靴ぬぐい、いったい誰がこの哀れな郊外を思ってくれるのか。誰もいやしない。工場で頭をにぶらされ、肥料をつめこまれ、ずたずたに引き裂かれた郊外は、もはや魂の抜けた土地、呪われた強制収容所でしかなく、そこでは微笑みも用なしで、苦労は報われず、ただあじけない苦しみが残るだけだ……いつまでも疲れ果てたカルヴィリオの丘、そんなものを誰が気にかけてくれるのか。もちろん、誰もいやしない。粗野な郊外、ただそれだけの話なのだ……いつも漠然と不穏な考えを温めている喧嘩腰の郊外、しかしそんな計画を推し進め、やりおおす者などひとりもいやしない、死ぬほど病んでいるくせに、死ぬことだけはないのが郊外だ。
このエッセイの冒頭にはカフカの未完の中断された物語が引かれているんですが、郊外はあたかもこの中断のような場所、語るべきものが暴力的に切断された、切れ端のような場所なのです。そしてこのエッセイでは、こういった環境の中で行われる文章教室のことが一つの主な話題となります。そもそも「何か自分のことを書き記す」という習慣が発想の次元からない「郊外」にすむ学生たちに、何かを書くという行為自体を教える、ということ。そこでは、ジョルジュ・ペレックの『ぼくは覚えている』という本がテキストとして使われ、書くべきものを持たない若者たちの表現欲への呼び水としての契機とされているといいます。
「郊外は忘却の場、忘れられた場所だ」と、じぶんの口から言わざるをえない、ニュアンスを欠いた起伏のない日々を忘却から救う手だてがそこ[ペレックの本]に示唆されたのである。故国を去ってフランスに来た者たちは、ペレックに学んでこう書いた。「黒い森をほとんど裸で駆け抜けたことをぼくは覚えている」、「穴のあいた青いサンダルをわたしは覚えている」、「すでに母のお腹にあったあの太陽をぼくは覚えている、生まれつきぼくの肌は焼けているのだ」。
「灰色の血」で描かれている「郊外」の不穏さ、暗さ、平坦さ。『郊外へ』に出てくる他の「郊外」には様々に明るい所もあるのですが、この「灰色の血」は、上のような「忘却の場」に抗ってものを書く、というモメントが最も剄くあらわれている優れた一編だと思うのです。
ブログの存在するネット上の世界は、過剰に記録されている、忘却が許されない世界なのかもしれない。しかし「灰色の血」に描かれた「郊外」のような「忘却の場」の只中で綴られた言葉、「黒い森をほとんど裸で駆け抜けたことをぼくは覚えている」。ここには、世界の残酷さのなかでしかありえない微かな希望の萌芽のような、とてもあざやかで冷たい何かが感じられはしないでしょうか。……そしてそのような言葉を綴ることは、ネットの過剰な記憶の場の上においても、ひょっとしたら可能なのではないか。無根拠にも、なぜかそういう気がしてならないのです。
それにしても、この『ぼくは覚えている』という本って翻訳されないのでしょうかね。読みたいなー。
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