中村一義と椎名林檎

中村一義が一緒にやってるバンド、100sのアルバム『OZ』が出ますね。おそらく明日には店頭に並ぶことでしょう。
http://www.five-d.co.jp/nakamura/pc/index.html
先行シングル「Honeycom.ware」のみずみずしい電子系サウンドには、目を覚まさせられるものがありました。エレクトロニカ・ブームが去ろうがなんだろうがどうでもよいけど、普及したポップな良い部分を受け継いだ収穫と言ってよいのでは? ムーヴメント云々より、それをちゃんと自分のものにした人が結局いいものをつくりますね。アルバムもきっと傑作となっていることでしょう、期待大です。
それに関連して『ぴあ』のインタビューに出てた発言は、わたしとしては興味深いものがありました(いろいろなところでそういう旨の発言をしてるんだと思いますが)。出先だからちゃんとした引用はできないんだけど確か、前のアルバム『ERA』でやりたいことはやりきっちゃって虚脱状態になってたところ、この仲間がちょうど集まったんでバンドサウンドを自然にやりはじめたらすごくよかったんで続けてる、というようなことだったと思う。
そこでわたしがちょっと連想したのは、実は椎名林檎のことだったのでした。というのは、椎名林檎は林檎個人名義では三枚アルバムを出したらやめるっていって出てこなくなってたけど、今度は東京事変というバンドで活動を開始した、形式的には似てるーという単純な発想なのですが。ただ、林檎が一旦出産とかもあってひっこんでた時期(カバーアルバムとか出してたころ)は正直パフォーマンスの手法的に行き詰まってるのかなと思ってて、東京事変の音を聴いた時にはずっと疾走感が出てておーなんか吹っ切れて復活したかと喜んだクチなんですねわたしは。
http://www.toshiba-emi.co.jp/tokyojihen/
http://www.kronekodow.com/
アルバムを実際に聴いてみると、歌詞的には以前と変わりはなくて「あなたが思ってるわたしが本当の椎名林檎だと思ってるでしょうそれは仮面だけどわたしにとってもそれは同じで仮面を演じている演者としてのわたしをあなたは椎名林檎だと思ってるのよでもそこに実体はないわ」的な、メディアに関する自意識の強さは三島由紀夫ばりかよと思わせる感じで以前からの展開はあまりないかなと正直思うんですけど、とにかくサウンドから鬱屈感や不要にトリッキーな部分が取れてて好感触ーと思いますた。林檎本人も東芝EMIのサイトで「今の段階では、ひとりきりで作る音楽はやり終えてると思って居ます」とか、「東京事変では、何か意図的にこだわる様なことが一切無い作品を作りたいし、自ずとそうなるだろうと思います」と書いてますね。
中村一義椎名林檎という両者のメッセージ性は対照的な気がするんですが、ソロでやれることをやりつくしてしまいバンドサウンドへと移行する、という道のりには似たものがある気がします。個人のパフォーマンスの才能の高さで注目を浴びてきた二人が、両者ともにバンド活動を改めてはじめたということは間違っても後退ではなくて(まあ誰もそう思わないでしょうが)、二人のミュージシャンとしてのスキルの高さをかえって裏付けるものだろうと思うのです。
おそらくどのような創作活動においても、特に才能を持った人であればあるほど、やり尽くして展開的にもう新しいものが出てこない、行き詰まりの地点に突き当たることがあるのだと思います。その行き詰まりの点からさらに移動していくためには、全く別の他者の角度から、それまでの論理では導き出せないようなことに挑戦して、自らがこだわって押し進めてきたことを一旦手放しにしてみる必要もあるのかもしれない。他人と一緒にバンドをやることって、そういう契機にもなるんじゃないのかなあ。
そこでは、ひょっとしたら自分が捨てたものの分だけ、進むことができるのかもしれません。この二人の最近の活動からは、個人的に大事にしてるものほど、手放してみると新しいものが見えてくる場合もあるのかなあ、などと勝手に思ってみたりもするのでした。
教育Honeycom.ware / B.O.KOZ